栃木城(読み)とちぎじょう

日本の城がわかる事典 「栃木城」の解説

とちぎじょう【栃木城】

栃木県栃木市にあった平城(ひらじろ)。現地案内板によると、本丸、東二の丸、南二の丸、蔵屋敷、東三の丸、南三の丸の6つの郭で構成されていた。1591年(天正19)に皆川広照により築かれた。広照は、1584年(天正12)に小田原の北条氏政・氏直父子と戦い(草倉合戦)、和議後に北条氏に従った。こうした経緯から、1590年(天正18)の豊臣秀吉の北条氏攻め(小田原の役)では、北条方について小田原城に籠城した。北条氏が滅亡すると、広照は徳川家康に仕えた。こうした時期に築城されたのが栃木城で、広照はそれまで居城としていた山城(やまじろ)の皆川城を廃城として、栃木城に移った。しかし、1609年(慶長14)、広照は家康の怒りを買って改易となり、それに伴い、栃木城も廃城となった。城跡は現在、東二の丸の北部分の土塁と堀が残されているだけで、城域のほとんどは学校や宅地、道路になっている。遺構城址公園として保存・整備されている。JR両毛線栃木駅、または東武鉄道日光線栃木駅からバスで丸の内下車。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の栃木城の言及

【栃木[市]】より

…西部に太平山(おおひらさん)県立公園がある。【村上 雅康】
[歴史]
 戦国時代に町の北西の山地に皆川氏の築いた皆川城があったが,1590年(天正18)小田原征伐の際落城し,中心は平野部に移り栃木城が建設された。しかし1586年に栃木の町がつくられ始めたとする記録もある。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」