日本歴史地名大系 「湯浅庄」の解説
湯浅庄
ゆあさのしよう
現湯浅町一帯にあった荘園。「和名抄」今日
、入
小宅宿所
」と「後鳥羽院熊野御幸記」同年一〇月九日条に記す。また久安四年(一一四八)二月五日の神野真国庄熊野詣雑事支配状(神護寺文書)によれば「上道雑事」を「持
参湯浅御宿
、渡
行事庁官
、可
取
進返抄
之」と指示されていて、熊野詣の要地にあたる当地に御幸の宿所の設備があり、行事庁官などの機構もあったことが判明する。だが摂関家や皇室関係の荘園としては設定されていなかったようで、荘名の初見は寛喜三年(一二三一)四月日の湯浅景基寄進状(施無畏寺文書)。景基は明恵の庵室があった
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報