栖原角兵衛(10代) すはら-かくべえ
1836-1918 幕末-明治時代の漁業家,実業家。
天保(てんぽう)7年生まれ。安政6年箱館(はこだて)奉行の外国銀銭通用取扱方をつとめる。樺太(からふと),千島列島などの北洋漁業開発にあたったが,明治28年三井物産に事業を委託し,栖原屋をとじた。大正7年死去。83歳。紀伊(きい)海部(あま)郡(和歌山県)出身。本姓は中尾。名は寧幹(やすとも)。
栖原角兵衛(7代) すはら-かくべえ
1780-1851 江戸時代後期の商人,漁業家。
安永9年生まれ。松前藩の場所請負人。文化3年蝦夷(えぞ)地(北海道)石狩13場所のうち5場所をうけおい,7年初代伊達林右衛門と北蝦夷地(樺太(からふと))の漁場をひらく。のち根室,厚岸(あっけし)場所の開発にあたった。嘉永(かえい)4年7月25日死去。72歳。本姓は中尾。名は信義。
栖原角兵衛(6代) すはら-かくべえ
1753-1817 江戸時代中期-後期の商人,漁業家。
宝暦3年生まれ。松前藩より蝦夷(えぞ)地(北海道)の「場所」(アイヌとの交易地の意)の経営をうけおう,場所請負人となる。天明6年天塩(てしお)場所を,ついで留萌(るもい),苫前(とままえ),十勝(とかち)場所をうけおう。文化14年9月6日死去。65歳。名は茂則。
栖原角兵衛(3代) すはら-かくべえ
1685-1734* 江戸時代中期の商人。
貞享(じょうきょう)2年生まれ。漁業をやめ,江戸で材木商をいとなむ。元禄(げんろく)のころ陸奥(むつ)北郡(青森県)大畑に支店をもうけ,南部ヒバ材を江戸,大坂に輸送販売した。享保(きょうほう)18年12月21日死去。49歳。名は茂延。
栖原角兵衛(8代) すはら-かくべえ
1808-1854 江戸時代後期の商人,漁業家。
文化5年生まれ。松前藩の場所請負人。天保(てんぽう)12年3代伊達林右衛門と択捉(えとろふ)を,のち山越内(やまこしない)をうけおった。14年支店を大坂にひらき,松前物産問屋をはじめた。嘉永(かえい)7年9月22日死去。47歳。名は茂信。
栖原角兵衛(5代) すはら-かくべえ
1731-1793 江戸時代中期の漁業家,商人。
享保(きょうほう)16年生まれ。4代角兵衛(茂村)の弟。明和2年蝦夷(えぞ)地(北海道)にわたり,松前に支店をもうけ屋号を栖原屋とし,漁業をいとなむ。かたわら蝦夷地の産物を江戸に輸送販売した。寛政5年9月19日死去。63歳。名は茂勝。
栖原角兵衛(初代) すはら-かくべえ
1601-1673 江戸時代前期の漁業家。
慶長(けいちょう)6年生まれ。紀伊(きい)有田郡(和歌山県)栖原の人。元和(げんな)の末,上総(かずさ)(千葉県)天羽(あまは)郡萩生(はぎう)に移住し,この地方の漁場をひらいた。寛文13年1月20日死去。73歳。名は茂俊。
栖原角兵衛(9代) すはら-かくべえ
1812-1857 江戸時代後期の商人,漁業家。
文化9年生まれ。8代角兵衛の弟。松前藩の場所請負人。安政2年同藩の沖口収納取扱方となる。3年江戸に松前物産問屋をひらいた。安政4年1月13日死去。46歳。名は茂寿。
栖原角兵衛(2代) すはら-かくべえ
1644-1706 江戸時代前期の漁業家,商人。
正保(しょうほ)元年生まれ。父の漁業をひきつぐとともに,元禄(げんろく)の初め江戸で材木問屋をひらいた。宝永3年10月13日死去。63歳。名は俊興。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例