栢田村(読み)かやだむら

日本歴史地名大系 「栢田村」の解説

栢田村
かやだむら

[現在地名]野栄町栢田

川辺かわべ村の南西堀川小屋ほりかわこや村の南東に位置する。おか集落の西を大布おおぶ川が南流、南東は九十九里浜に面しはま集落がある。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳に村名がみえ、旗本大久保領二八〇石・松平領七〇石の相給で、今泉組に属した。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高六一八石余、同じ旗本二氏領と幕府領の三給。この三給支配は幕末まで続く。漁業を営む者もあり、寛政一一年(一七九九)の地引網一(岩井家文書)。「伊能忠敬測量日記」によると、幕府領八二石余・松平領二五八石余が西栢田村、幕府領一七三石余・大久保領二九三石余が東栢田村と称され、享和元年(一八〇一)の家数は西栢田村八三・東栢田村一二〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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