栢間村(読み)かやまむら

日本歴史地名大系 「栢間村」の解説

栢間村
かやまむら

[現在地名]菖蒲町上栢間(かみかやま)・下栢間(しもかやま)

元荒川の左岸、柴山(しばやま)村枝郷の西に位置する。菖蒲領のうち(風土記稿)。天正一八年(一五九〇)の三千石以上分限帳(「天正慶長諸大名御旗本分限帳」内閣文庫蔵)に「武州柄(栢)間」五千石が内藤四郎左衛門正成知行とみえ、徳川氏の関東入国後旗本内藤領となった。内藤氏は村の西部に横一町・竪三町の敷地に垣をめぐらして居住したが、寛永二年(一六二五)幕臣の府内宅地の制が出されると、陣屋に家人を置いて江戸に引揚げたという(風土記稿)。同八年内藤忠俊が改易となり、同族正重が旧領を安堵され、幕末まで同家領であった(「寛政重修諸家譜」・改革組合取調書・大熊家文書など)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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