桂畑村(読み)かつらはたむら

日本歴史地名大系 「桂畑村」の解説

桂畑村
かつらはたむら

[現在地名]美里村桂畑

笠取かさとり(八二八メートル)東麓の山地の多い村。南長野みなみながの村の西にあたり、瀬戸せと川と桂畑川が合流して南長野川となる地点の平地部に集落がある。

慶長一三年(一六〇八)以後、江戸時代を通じて津藩領。文禄検地帳を転記したと思われる伊勢国中御検地高帳に村名がみえず、近世初期はまだ村切が行われず、村高からみて南長野村に含まれている。慶安郷帳(明大刑博蔵)に「桂畑村」と出、田方二二二石余、畑方四三石余であった。「宗国史」は「桂端今作桂畑」と記し、戸数六六、人口二七七、馬一一、牛二一、神祠に奥出明神、寺院に洞雲とううん(天台真盛宗)と、寛延(一七四八―五一)頃の村の様子を表している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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