美里村
んざとうむら
[現在地名]沖縄市美里一―六丁目・美里・越来二―三丁目・東一丁目・松本六丁目
越来間切越来村の東にある。村内を宿道(中頭方東海道)がほぼ南北に走り、北部を比謝川の支流カフンジャー(嘉普武川)が西へ流れる。康熙五年(一六六六)以降美里間切に属し、間切同村である。絵図郷村帳や琉球国高究帳では越来間切のうちで西原村とある。美里間切独立後は近世から近代を通じ諸史料では西原村、美里村の呼称が併用された。間切番所が置かれた。琉球国高究帳によれば高頭四八四石余、うち田二四〇石余・畠二四三石余。里積記によれば田畑とも中の村位である。脇地頭は「琉球藩雑記」によれば、当村には置かれていない。しかし当村は間切の主邑で惣地頭の
村であるので、実際には設置されているのと同じである。
美里村
みさとむら
面積:五〇・〇九平方キロ
安芸郡の西部に位置し、村域の北から東にかけて経ヶ峰(八一九・三メートル)の山稜で芸濃町・安濃町に、東南は長谷山(三二〇・六メートル)で津市に接している。北から西にかけては笠取山(八二八メートル)を主峰とする七〇〇メートル前後の山々で阿山郡大山田村に、南は久居市に接する。村域の中央部を西から東に長野川が河岸段丘を形成し、深い谷をつくって流れている。また北東部を経ヶ峰の南斜面に水源を発する穴倉川が急流をなし、経ヶ峰と長谷山の山間を縫って安濃町に流出している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の美里村の言及
【沖縄[市]】より
…沖縄県,沖縄島(本島)中部,那覇市の北方22kmに位置する市。琉球王朝時代には越来間切(ごえくまぎり)を基盤に越来城が築かれていたが,首里王府の新政策によって,1666年(寛文6)越来間切と美里間切に分離し,1908年特別町村制の施行で,越来村,美里村に改称した。56年6月越来村はコザ村と改称し,翌月市制を施行した。…
※「美里村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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