桃畠町(読み)ももばたけまち

日本歴史地名大系 「桃畠町」の解説

桃畠町
ももばたけまち

[現在地名]金沢市野町のまち三丁目・弥生やよい一丁目

北陸街道に直交する筋の両側町。野町六丁目の東にあり、東は六斗林ろくとばやし町名は、泉野いずみの村領御用地であった江戸時代中期頃、泉野村百姓が桃の木を植え、地内の南東一帯が桃畑になっていたことによる(金沢古蹟志)。もとは本光ほんこう寺の門前町で、元和二年(一六一六)頃藩士滝与右衛門に命じて犀川の崖の上に柿木畑・栗林葡萄棚などを設けさせたことによるともいう(三壺記)。文政期(一八一八―三〇)の金沢町絵図(加越能文庫)には、本光寺本覚ほんがく寺に挟まれた地域に桃畠の名前がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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