桑関村(読み)くわぜきむら

日本歴史地名大系 「桑関村」の解説

桑関村
くわぜきむら

[現在地名]麻績村桑関

江戸時代は松本藩領会田あいだ組に属し、江戸末期に坂北さかきた組が分離するに及んでこれに属した。たか村の西に位置し、南は仁熊にゆうま村に接し、集落は南面する。天正検地の際は青柳内仁熊村二四五石一斗一升三合であったが、寛永六年(一六二九)検地の際、仁熊村から分れ、松本御領分村々高附帳には六六石五斗七升五合と初めて高付けされ、天保郷帳では一〇〇石一升六勺となっている。「信府統記」会田組の項に「御朱印高二十九石五斗一升五合」とあり、享保九年(一七二四)当時の石高は八一石八升四合六勺、慶安の検地時には本百姓一一軒、半百姓二軒、門百姓五軒であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む