埼玉県西部、秩父郡(ちちぶぐん)にあった旧村名(大滝村(むら))。2005年(平成17)4月秩父市に合併し、秩父市の南西部を占める。旧村域全体が秩父山地に属し、荒川、中津川の沿岸に、所々小さな平地が存在する。荒川沿いには国道140号が通り、難所の雁坂峠(かりさかとうげ)の下に雁坂トンネルが1998年(平成10)に開通し山梨県へと通じた。山地であるため、古くから林業が行われ、また、銅、鉛、硫化鉄鉱、赤鉄鉱を産した日本有数の金属鉱山秩父鉱山(経営は日窒(にっちつ)鉱業。現、ニッチツ)は、1978年(昭和53)以降、珪砂(けいさ)、石灰石のみの生産に変わった。三峰(みつみね)山には、日本武尊(やまとたけるのみこと)にゆかりの三峯神社(みつみねじんじゃ)があり、荒川源流近くの二瀬ダム(秩父湖)、国指定史跡の栃本(とちもと)関跡、紅葉の名所の中津峡、大滝温泉とともに観光の中心となっている。
[中山正民]
『『大滝村誌 資料編』全11巻(1971~1987・大滝村)』
北海道南西部、胆振(いぶり)支庁(現、胆振総合振興局)管内にあった旧村名(大滝村(むら))。現在は、間に有珠郡壮瞥(そうべつ)町をはさんで、伊達(だて)市の北東部を占める地域。旧大滝村は1950年(昭和25)徳舜瞥村(とくしゅんべつむら)が改称して成立。2006年(平成18)伊達市へ編入。旧村域は支笏(しこつ)湖と洞爺(とうや)湖の間を占め、徳舜瞥山山麓(さんろく)の標高500メートル内外に位置する山村であり、集落は長流(おさる)川上流の河谷に展開している。旧国鉄胆振線は1986年廃止され、国道276号、453号が通じる。かつては室蘭(むろらん)の製鉄所に送られた鉄鉱石を産出したが、鉱山の閉山(1971)で過疎化が進んだ。乳・肉用牛飼育などの畜産と、高原野菜の生産、とくに漬物用ダイコン栽培が盛んである。また北海道の稲作高距(こうきょ)限界の地として知られる。国民保養温泉地北湯沢温泉は支笏洞爺国立公園内にあり、スキー場として知られている。
[奈良部理]
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
秋田県北部,大館市の東部,米代川に臨む温泉。発見は1500年前という伝説もあり,江戸時代には秋田藩主も訪れた。春の桜,秋の紅葉,冬はスキーも楽しめる閑静な温泉で,大館市の奥座敷としての利用も多い。食塩泉,61℃。対岸の五輪台にも温泉が開発されて,温泉街は拡張,秋田労災病院はじめ,各種保養施設の数は県内一で,近年にぎわいを呈してきた。付近の十二所は中世後期の城下町で,のち南部藩に接する要地として,秋田藩の所預(ところあずかり)がおかれた。また,米代川水運の終航地であった。
執筆者:北条 寿
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…市域西部は400~600mの丘陵性山地で,そこから流れ出す小瀬川の谷口に古い市街地がある。大竹の名は《続日本紀》天平6年(734)9月16日条に初出,大滝とも書く。江戸時代は広島浅野藩により防長の毛利藩への備えとして,また山陽道の渡船場として重視された。…
※「大滝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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