桜の町筋(読み)さくらのちようすじ

日本歴史地名大系 「桜の町筋」の解説

桜の町筋
さくらのちようすじ

[現在地名]中区丸の内まるのうち一―三丁目・にしき一―三丁目

すぎの町筋の南にあたる東西道筋。ほり川東岸の木挽こびき町筋を発し、なだらかな斜面を上って碁盤割のほぼ中心を東進し、久屋ひさや町筋に終わる。小桜こざくら町筋とよぶこともある(尾張志)。桜の町の由来は小桜町と同様、町内の天神社の大きな桜樹に基づく(府城志)。万治三年(一六六〇)大火後、天神社社門の向い側に桜風呂という銭湯ができた。主人の宗心は能書家として名高い(尾陽雑記)。桜の町付近はかつて万松ばんしよう(現大須)境内築城の際は加藤清正の普請小屋が設けられた。小姓たちが美々しく装い石引きに参加したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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