桜田伏見町
さくらだふしみちよう
[現在地名]港区新橋二丁目・西新橋一丁目
兼房町の西に位置する町屋。片側町に切地という構成で、西は桜田善右衛門町・同鍛冶町・同和泉町、北は本郷六丁目代地、南は兼房町と桜田和泉町の切地。当町は桜田太左衛門町・同久保町・同善右衛門町・同和泉町・同鍛冶町・同備前町とともに古くは霞の関(現千代田区)辺りにあって桜田村と唱えたが、徳川家康の関東入部後に御用地となって召上げられ、虎御門外から幸橋御門外の堀端通りに代地を与えられた。寛政六年(一七九四)に桜田火事によって類焼後火除地となり、愛宕下武家地跡に代地を与えられたため桜田七ヵ町とよばれた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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