日本歴史地名大系 「梅ヶ崎町」の解説 梅ヶ崎町うめがさきまち 長崎県:長崎市長崎町梅ヶ崎町[現在地名]長崎市梅香崎町(うめがさきまち)・十人町(じゆうにんまち)・籠町(かごまち)・東山手町(ひがしやまてまち)十人町の西、新地(しんち)町の南にある。北部は長崎浦に面し、東は唐人(とうじん)屋敷、西は大浦(おおうら)、南は十人町。メガサキとよばれた(明治二四年「長崎港精図」長崎図書館蔵)。長崎村十善寺(じゆうぜんじ)郷のうち延宝八年(一六八〇)に埋立てられた地で、天神(てんじん)山とも称したが、長崎奉行の牛込忠左衛門が梅香崎と名付けたという。「長崎拾芥」に「十善寺梅ケ崎築地」とみえ、延宝八年長さ三二間・横五間の総坪数一六五坪の地が荒木伝兵衛により造成された。元禄国絵図に「梅ケ崎」「天草御米蔵」とある。元禄六年(一六九三)八月南京(なんきん)寺(興福寺)が招いた子厳が許されて梅ヶ崎から上陸。同八年一月「梅ケ崎蔵」に破損した唐船の荷が収蔵され、同一六年「梅ケ崎荒木彦市蔵」に五八番唐船の米三〇〇袋、梅ヶ崎蔵に四八番船の唐米三一〇袋などが収蔵された(唐通事会所日録)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by