梅保木村(読み)うめほきむら

日本歴史地名大系 「梅保木村」の解説

梅保木村
うめほきむら

[現在地名]瀬戸町万富(まんとみ)

多田原(ただわら)村の西にある。吉井川西岸の村で、城(しろ)山(一八一・三メートル)南麓に集落がある。慶長一〇年(一六〇五)備前国高物成帳(備陽記)の吉岡(よしおか)庄に「保喜村」とみえ、寛永備前国絵図には梅保木村とあり高八六九石余。「備陽記」によれば山寄り集落で、岡山京橋(現岡山市)まで道程四里二六町、田畠三一町八反余、家数四八・人数二四九。枝村吉谷(よしだに)の田畠三二町二反余、家数四九・人数三〇六、池一。吉谷は寛延三年(一七五〇)に保木(ほき)と改称したという(赤磐郡誌)。天保年間の「磐梨郡三組手鑑」では梅保木村と保木村に分けて記される。梅保木村の直高七五七石余、蔵入と家臣一〇名の給地、田高三一一石余・一八町六反余、畑高一七四石余・一二町二反余、物成合計三五三石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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