改訂新版 世界大百科事典 「浦上宗景」の意味・わかりやすい解説 浦上宗景 (うらがみむねかげ) 戦国時代の武将。生没年不詳。父村宗の死後,兄政宗をしのぎ,備前和気郡天神山に拠り,備前・美作を支配した。天文~元亀年間(1532-73),尼子氏次いで毛利氏と美作・備中を舞台に覇を競った。その間,備前西半を中心に重臣宇喜多直家の勢力が伸張するに及び,1573年(天正1)足利義昭追放後の織田信長に款を通じ,播備作3国安堵の朱印を得た。その結果,宇喜多氏の離反を招き,翌年毛利氏と結んだ直家と対立,77年天神山城を攻略され,没落した。執筆者:加藤 益幹 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浦上宗景」の解説 浦上宗景 うらがみ-むねかげ ?-? 織豊時代の武将。浦上村宗の次男。父の死後,播磨(はりま)(兵庫県)室津城主の兄政宗と対立。備前(岡山県)天神山に城をきずき,のち備前,美作(みまさか),播磨を支配する。天正(てんしょう)5年(1577)重臣の宇喜多直家に城をおわれた。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by