梅園村
うめぞのむら
[現在地名]田沼町梅園
彦間川の支流梅園川流域を占める。西は閑馬村、南は戸奈良村・閑馬村、北は長谷場村。観応三年(一三五二)七月二四日の足利尊氏袖判下文(佐野文書)によると、足利尊氏は佐野秀綱に足利庄の「梅園六郎重綱跡」を与えている。梅園六郎は当地を支配していた領主と考えられる。年未詳九月二七日の足利尊氏御内書(同文書)には、梅園六郎重綱跡は「梅薗村」とみえ、秀綱は同地が赤見新兵衛入道に押領されたため訴えており、尊氏は仁木頼章に対し秀綱に宛行うよう命じている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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