梅辻規清(読み)うめつじ・のりきよ

朝日日本歴史人物事典「梅辻規清」の解説

梅辻規清

没年:文久1.7.21(1861.8.26)
生年:寛政10(1798)
江戸後期の神学者で,烏伝神道の創始者。本姓は賀茂県主,家の名を梅辻という。山城国(京都)上賀茂神社の社家出身で賀茂の一族は八咫烏の後裔であるというところから,烏の子孫である自分に伝えられた神道という意味で,烏伝神道と称した。号は対翁,斎守翁,三午翁。文化10(1813)年に従五位下,同14年従五位上。巡国遍歴することを好み12年間で33カ国におよんだ。天文,暦学,神道,陽明学を交え,私意私欲を去った安心の信仰として烏伝神道を説く。同時に神祇官再興,海防,沼地開発,貧民救済を中心とした経世論を10冊にまとめ,江戸幕府に献策した。弘化3(1846)年江戸下谷池之端に居を構え,布教活動を展開し,神道を日常生活と結びつけ,その活動が社会性を帯びていたところから,信者は数千人におよんだという。そのため幕府からうとまれ,翌年捕らえられて八丈島に流罪となり,その地にあること14年で没した。<著作>『神道烏伝祓除抄』『烏伝神道大意』<参考文献>『教祖梅辻規清大人実記』,平重道「賀茂規清の経世論と天保改革」(『日本近世史の地方的展開』)

(白山芳太郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

精選版 日本国語大辞典「梅辻規清」の解説

うめつじ‐のりきよ【梅辻規清】

幕末の神道家。本姓賀茂県主(かものあがたぬし)。京都賀茂別雷神社の社家梅辻家の出身。号は対翁。神道、天文学、暦学、国学、陽明学、禅などを修め、八咫烏、賀茂建角身命の直伝と称する烏伝神道をおこす。江戸下谷池の端に瑞烏園を建てて尊王開国、時事経済を論じたが、幕府に咎められ、八丈島に流罪。主著「日本書紀常世長鳴鳥」「雛廼宇計木(ひなのうけぎ)」「神道烏伝祓除抄」。寛政一〇~文久元年(一七九八‐一八六一

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367日誕生日大事典「梅辻規清」の解説

梅辻規清 (うめつじのりきよ)

生年月日:1798年5月19日
江戸時代後期の神学者
1861年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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