八咫烏
やたがらす
記紀神話に出てくる大烏、あるいは頭の大きな大烏。『日本書紀』では、頭八咫烏(やたからす)という。東征の際、高木神(たかぎのかみ)(記)、天照大神(あまてらすおおみかみ)(紀)によって神武(じんむ)天皇のもとに派遣され、熊野(くまの)から大和(やまと)に入る険阻な山中を導く。また紀では、兄磯城(えしき)・弟磯城(おとしき)の帰順勧告に派遣される。鴨県主(かものあがたぬし)の祖である鴨建角身命(かもたけつのみのみこと)が化したものともいい(『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』『古語拾遺(こごしゅうい)』)、その子孫は葛野主殿県主(かどののとのもりのあがたぬし)ともいわれる(紀)。
烏のもつ意味については、日神の使者、熊野のみさき、トーテム動物のほか戦陣で危急を救う鳥などと説かれているが、いずれにせよ烏が神秘な能力をもつことを示す。この話を神武伝承に結び付けた氏族については、主殿寮(とのもりづかさ)の殿部(とのべ)として葛野県の鴨県主とするのが通説であるが、大伴(おおとも)氏とする異説もある。
[吉井 巖]
『佐伯有清著『ヤタガラス伝説と鴨氏』(『新撰姓氏録の研究 研究編』所収・1963・吉川弘文館)』
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やた‐がらす【八咫烏】
[1] 神武天皇が東征の時、熊野から大和へぬける山中の道案内として、天照大神の命を受けて飛来したという神話の中の烏。
※
古事記(712)中「天
(あめ)より八咫烏
(やたがらす)を遣はさむ」
[2] 〘名〙
① 中国の伝説で、太陽の中にいると想像された三本足の烏。また、太陽の異称。〔十巻本和名抄(934頃)〕
②
朝賀即位などの時、庭上に立てる幟。幢竿
(はたざお)の先端に金銅製の烏を据えた。鳥像幢
(とりがたのはた)。
※
讚岐典侍(1108頃)下「南のかたをみれば、せいのやたからす、見もしらぬものども、大がしらなどたてわたしたる見るも」
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八咫烏
やたがらす
神武天皇の建国説話にみえる烏。天皇が熊野から大和に進入しようとして山中で道に迷ったとき,アマテラスオオミカミ (『古事記』ではタカギノカミ) が八咫烏をつかわして,天皇の軍を導き,山中を抜け出させたという。「やた」とは「大きい」という意で,大烏のこと。古代日本人が烏にある種の霊能を認めていたことを示すものと思われる。
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八咫烏 やたがらす
記・紀神話にみえる神。
「日本書紀」では頭八咫烏とかき,神武天皇東征の際,天照大神(あまてらすおおみかみ)の使神として大烏となってあらわれ,道案内をしたとある。鴨(賀茂)県主(かものあがたぬし)の先祖とされる。
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やたがらす【八咫烏】
記紀の神武天皇東征譚にあらわれる鳥。神武天皇の軍が熊野,吉野を越えて大和へ入ろうとするとき,ヤタガラスが天照大神(《古事記》では高木大神)の命で派遣され,先導をつとめたとされる。また大和の土豪兄猾(えうかし)・弟猾(おとうかし)平定のさいはこの烏が使者に立っている。ヤタガラスは山城の鴨(賀茂)県主(かものあがたぬし)の先祖とされている(《日本書紀》《古語拾遺》)。同氏は主殿の職を世襲したが,その職掌のうちには〈車駕行幸供奉〉(《延喜式》),大嘗祭における〈秉燭照路〉(《北山抄》)ということがあり,神話と祭式の対応関係を示すものと考えられる。
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世界大百科事典内の八咫烏の言及
【神武天皇】より
…途中,宇佐,筑紫,安芸,吉備を経歴しつつ瀬戸内海を東進して難波に至り,そこで長髄彦(ながすねひこ)と戦って五瀬命を失う。神武の軍は南に迂回して熊野に入ったところを化熊に蠱惑(こわく)されるが,天津神の助力によって危地を脱し,天津神の派遣した八咫烏(やたがらす)の先導で熊野・吉野の山中を踏み越えて大和の宇陀に出る。ここで兄猾(えうかし),弟猾(おとうかし)を従わせ,以後,忍坂(おさか)の土雲八十建(つちぐもやそたける),長髄彦,兄磯城(えしき),弟磯城(おとしき)らの土着勢力を各地に破り,大和平定を成就する。…
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