精選版 日本国語大辞典 「賀茂規清」の意味・読み・例文・類語 かも‐の‐のりきよ【賀茂規清】 ⇒うめつじのりきよ(梅辻規清) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「賀茂規清」の解説 賀茂規清 かもの-のりきよ 1798-1861 江戸時代後期の神道家。寛政10年5月19日生まれ。神道,天文学,暦学,陽明学をまなび,烏伝(うでん)神道を大成。また海防,沼地開発などの論考をまとめて幕府に献策。のち江戸で神道の布教活動をして幕府にうとまれ,八丈島に流罪となった。文久元年7月21日死去。64歳。京都出身。家名は梅辻。号は対翁など。著作に「日本書紀常世長鳴鳥」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「賀茂規清」の意味・わかりやすい解説 賀茂規清かもののりきよ [生]寛政10(1798)[没]文久1(1861)江戸時代後期の神道家。神道,国学,天文,暦数などを学び,好んで諸国を遍歴した。のち陽明学,禅学によって烏伝神道を始めた。晩年は八丈島に配流された。著作『日本書紀常世長鳴鳥』『古事記鰐廼鈴形』『旧事紀日矛廼伝』。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by