八丈島(読み)はちじょうじま

精選版 日本国語大辞典 「八丈島」の意味・読み・例文・類語

はちじょう‐じま ハチヂャウ‥【八丈島】

東京都、伊豆諸島南部の火山島。一島で八丈町を形成。西方に八丈小島がある。北方の三宅島・御蔵島とは黒潮を隔てて孤立し、宇喜多秀家をはじめ多数の人が流された流刑地として知られた。黄八丈と呼ばれる絹織物を特産する。伊豆諸島の最高峰、西山(八丈富士=八五四メートル)がある。富士箱根伊豆国立公園の一部。面積六八・三平方キロメートル。〔書言字考節用集(1717)〕

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デジタル大辞泉 「八丈島」の意味・読み・例文・類語

はちじょう‐じま〔ハチヂヤウ‐〕【八丈島】

伊豆七島の一。東京都八丈支庁に属し、火山島。八丈絹を特産し、園芸用の熱帯植物の栽培も盛ん。明治初年まで流刑地とされていた。面積68.3平方キロメートル。

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日本歴史地名大系 「八丈島」の解説

八丈島
はちじようじま

南部伊豆諸島中最大の島。都心から南方約二九〇キロにある。八郎はつちよう島・女護によごヶ島・八嶽やたけ島・沖之おきの島・綜嶼いとしまなどともいう。面積六八・三三平方キロ。最高峰八丈富士(西山)の標高は八五四・三メートル、その南東に位置するひがし(三原山)は七〇〇・九メートルで、この二つのコニーデ型成層火山から形成された火山島である。両山の中間に広がる平地に東京都八丈支庁、町役場や飛行場、大型船舶の発着する底土そこど港などの施設が集中する市街地(大賀郷・三根地区)が発達。東山の南から西の山麓には樫立かしたて中之郷なかのごう末吉すえよしの集落があり、八丈富士のほうには大賀郷おおかごう永郷と三根みつね永郷という江戸時代に造られた隠居村の集落がある。

島内の遺跡の多くは東山南麓の樫立地区にある。縄文時代早期の湯浜ゆばま遺跡では竪穴住居跡が発掘され、無文の尖底土器と磨製石器などの出土が確認された。同遺跡に近接する倉輪くらわ遺跡では、縄文前期から中期の竪穴住居跡数軒と多量の遺物が出土し(埋葬人骨三体も出土)、なかでも装身具類は際立っていた。ほかに磨製石器の発見されている遺跡が島内に数ヵ所確認されている。古墳時代から奈良時代では八重根やえね遺跡があげられ、八丈富士側では火の潟ひのがた遺跡から製塩を思わせる土器が多く出土している。島には(一)八十八重姫、(二)秦の徐福、(三)丹那婆(丹娜婆)の三つの始祖伝説がある。(一)は八丈島の開拓神を事代主命(三島大明神、伊豆諸島の開拓神とされる)の妃八十八重姫と、その子許志岐命(古宝丸)の母子神とみる伝説で、大賀郷の優婆夷宝うばいたから明神社はこの母子神を祭神とする。(二)は秦の始皇帝の命を受けた徐福が不老不死の霊薬を求めて日本に渡来、その帰途に徐福が連れて来た童女五〇〇人を乗せた船が八丈島に漂着し、島民の祖となったというもので、女護ヶ島の地名由来でもある。ちなみに童男五〇〇人を乗せた船は青ヶ島(男島)に漂着したという。(三)は江戸時代の著書「綜嶼噺話」にみえ、昔、大津波で島が全滅、ただ一人生残った妊婦丹那は男子を産み、母子交会して類葉繁栄したのがのちの八丈島民というものである。とくに(三)は日本文化にはみられない伝説で、南方系文化の影響がみられる。

応永三年(一三九六)七月二三日の斯波義将施行状(上杉家文書)で、伊豆守護上杉憲定に伊豆国の所領が交付されている。この憲定の所領は前年七月二四日に父憲方の遺領として安堵されたもので、「八丈島」をはじめとする伊豆諸島の島々も含まれていた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「八丈島」の意味・わかりやすい解説

八丈島
はちじょうじま

東京都八丈支庁に属し、西約4キロメートル(以下、キロと略す)の八丈小島(無人)とともに八丈町をなす。東京の南約290キロで、伊豆諸島南部にある火山島。同諸島では大島に次いで大きい。北西の西山、南東の東山の両火山が接合したひょうたん形で、長軸約14キロ、周囲約59キロ、面積69.52平方キロ、人口8318(2009)。富士箱根伊豆国立公園に含まれ、亜熱帯気候の南国情緒豊かな観光地である。

 東山(701メートル)は三原山ともよばれ、径約4キロの円形のカルデラをもつ多重式複成火山である。先カルデラ火山も後カルデラ火山も玄武岩、安山岩の成層火山で、後者の山頂火口内や山腹には噴石丘がある。東山は噴火記録がなく、開析が進んでおり、その活動は更新世(洪積世)らしい。西山(854メートル)は八丈富士ともよばれ、伊豆諸島中の最高峰で、広い裾野(すその)を引く玄武岩の成層・円錐(えんすい)火山である。完新世(沖積世)に生まれた二重式の活火山で、径約400メートルの山頂火口内に小火口丘がある。1487年(長享1)を皮切りに、1605年(慶長10)までに5回の噴火記録があり、山頂、山腹や付近海底からも噴火した。東山と西山の中間は、なだらかな傾斜地ないし平坦(へいたん)地であるが、東山の沿岸と西山の北西側沿岸は急崖(きゅうがい)をなしている。東山は山々が重複し、谷が深く、表土が厚いために水に恵まれ、随所に水源があり、飲料水、灌漑(かんがい)用水、発電用水に利用され、伊豆諸島中ここだけに水田がある。東山を囲み、坂下とよばれる北側低地の三根(みつね)、大賀郷(おおがごう)、坂上とよばれる南側山手の樫立(かしだて)、中之郷(なかのごう)、末吉(すえよし)の諸集落が湧水(ゆうすい)地に立地している。気候は高温多湿の亜熱帯性で、年平均気温17.8℃、最低気温10.1℃(1月)、降水量は年3202.4ミリメートルもあり(1981~2010年の平均値)、植物がよく繁茂し、島の約80%がシイ、サカキツバキ、タブなどの常緑樹で覆われている。

 鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)(源為朝)の伝説にちなみ、八郎島とよばれたのが地名の由来という。防風用の高い玉石垣、高床式の穀物庫(高倉)、急傾斜のかや葺(ぶ)き屋根、宇喜多秀家(うきたひでいえ)などの流人の墓石、漂流者の無縁塚など、島の歴史を物語る景観が随所に残されている。古くから太平洋漁業の基地で、付近にもカツオ、トビウオなどの好漁場がある。港湾は乏しいが、東に神湊(かみみなと)、西に八重根(やえね)の両港があり、離島振興法で整備されており、東京の竹芝桟橋から定期船が就航している。また、西山の南東麓(なんとうろく)の八丈島空港へも、羽田空港から多数の観光客が定期便で来遊する。綜嶼(いとしま)、女護(にょご)島、八丈島などの呼称にちなむ生糸、絹、黄八丈(きはちじょう)の生産地として知られる。また、米、麦、サツマイモなどの自給作物のほか、近年、観葉植物、球根類を主とする熱帯園芸作物栽培も盛んで、フェニックスフリージアパイナップル、ゴム、そのほか香料植物など多彩で、移出されている。舗装道路、温泉ボーリング、ホテル建設、観光植物園造成など、観光開発が進んでおり、類似点の多いアメリカ、ハワイ州のマウイ島と姉妹島になっている。牛角力(うしずもう)、樫立踊(国選択無形民俗文化財)、太鼓(たいこ)ばやしなどの民俗芸能や、東京都文化財に指定されている島役所跡、服部屋敷(樫立踊実演)、長戸路(ながとろ)屋敷(古文書所蔵)などの史跡や旧跡も多い。

 なお、幕末の流人近藤富蔵著『八丈実記』69巻は、島の生活、風俗を伝える貴重な記録である。

[菊池万雄・諏訪 彰]

『近藤富蔵著『八丈実記』全7巻(1964~1976・緑地社)』『『八丈島誌』(1973・八丈町)』『『伊豆諸島・小笠原諸島』(1984・東京都島嶼町村会)』


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改訂新版 世界大百科事典 「八丈島」の意味・わかりやすい解説

八丈島 (はちじょうじま)

伊豆諸島南部の島。面積68km2,人口8231(2010)。西約4kmにある無人の八丈小島とともに東京都八丈支庁八丈町に属する。八丈島は北西部の西山(八丈富士。854m)と南東部の東山(三原山。701m)の両火山とその間の中央低地からなる。東山は古い火山体で先カルデラ成層火山とそのカルデラ内にできた後カルデラ成層火山からなるが,噴火の記録はなく浸食もすすんでいる。西山は東山の活動終了後,完新世に入って活動が始まったと考えられ,15~17世紀に活動の記録がある。円錐形の成層火山をなし,その溶岩は中央低地を広くおおい,東山の北麓にまで達している。

 近世は流刑地で〈鳥も通わぬ八丈島〉といわれ,宇喜多秀家をはじめ多くの流人が送られたが,初期の流人はいわば政治・思想犯の知識階級が多かったため島の文化的発展に寄与した。流人であった近藤富蔵が著した《八丈実記》は八丈島の地誌として知られる。

 東山山麓の湧水地帯に古くからの集落が分布し,伊豆諸島唯一の水田地帯がみられる。中央低地の三根(みつね),大賀郷(おおかごう)が中心集落で,神湊(かみなと)港(底土港),八重根港があり,神湊港と東京港間に定期船の便がある。1962年には西山山麓に空港が開かれ東京と結ばれ,82年に空港拡張工事が完成して,ジェット機が羽田から1日4往復就航するようになって島の観光地化が急速にすすんだ。東山南麓の海岸には湯ノ浜温泉(弱食塩泉,97℃),汐間温泉(弱食塩泉,52~55℃)があり,西山周辺でもホテル,旅館の建設が相次いだ。高温多雨の亜熱帯的気候を利用したフェニックスやフリージアなど観葉植物や花卉の生産も盛んとなり,特産品にアシタバがある。樫立(かしたて)踊,牛角力(うしずもう)などの民俗芸能,行事がある。近世に租税の上納品であった絹織物の黄八丈を特産する。八丈小島にはかつて二つの集落があったが,過疎化がすすみ,1969年に全員が離島した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八丈島」の意味・わかりやすい解説

八丈島
はちじょうじま

東京都伊豆諸島にある火山島。活火山で,常時観測火山伊豆七島中,大島に次ぐ大きさで八丈町に属する。最高点は北西部の円錐形複式火山の西山(854m)で,八丈富士とも呼ばれる。東部の東山(別称三原山。701m)には無線中継所がある。東山の噴火活動は停止しているが,西山では長享1(1487)年以降数回の噴火記録がある。両山の中間低地は開発が進み,飛行場がある。亜熱帯気候で,年平均気温 18℃前後,年降水量 3000mm前後。八丈島空港の西側,溶岩原の自然林の中に,タコノキ,フェニックス,ゴムノキなどの亜熱帯性植物が茂る都立八丈植物公園がある。三原山の西麓斜面にあるヘゴ(木生シダ)自生北限地帯は国の天然記念物に指定されている。観賞用植物の栽培や漁業が行なわれる。黄八丈は特産。海岸は絶壁が多く交通不便であるが,観光開発が盛んで,東京から航路や航空路がある。富士箱根伊豆国立公園に属する。面積 69.48km2。人口 9488(2000)。

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百科事典マイペディア 「八丈島」の意味・わかりやすい解説

八丈島【はちじょうじま】

伊豆諸島の一島。伊豆七島の最南にあたり,東京都八丈町をなす。北西部に西山(八丈富士,最高点で854m),南東部に東山(三原山)の2火山(いずれも活火山)をもつ火山島で,両火山の中部に低地があり水田がひらける。古代には優婆夷宝明神社が祀られ,中世には奥山宗林が支配していたとされる。室町期には黄八丈・八丈物として本州島に知られていた。近世には流罪地で,宇喜多秀家などが流された。
→関連項目八丈実記富士箱根伊豆国立公園

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世界大百科事典(旧版)内の八丈島の言及

【源為朝】より

…島人からその島が鬼ヶ島であり,昔は隠れ簑,隠れ笠,浮き沓(くつ),沈み沓などの宝があり,日ごとに人を食らい,生贄(いけにえ)をとったと聞く。為朝はこの島を八丈島の脇島(付属島)と決め,葦島(あしじま)と改名する。また大島では,島の代官三郎太夫忠重(忠光とも)の婿となり為頼など2男1女をもうけた,などとも伝える。…

※「八丈島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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