朝日日本歴史人物事典 「梶原景山」の解説
梶原景山
生年:享保12(1727)
江戸後期,讃岐(香川県)木田郡潟元村(高松市)の塩田開拓者。名は景弼,通称重太夫。景山は号。鎌倉幕府御家人梶原氏の裔で,大内郡引田生まれ。一族の衰微を製塩事業によって復興することを志し,29歳で潟元干潟の干拓を計画。自らも工事に携わる一方で,製塩先進地の赤穂(赤穂市)や松永(福山市)から熟練者を呼び,苦心の末宝暦5(1755)年23町歩余の亥の浜を,同7年には19町歩余の子の浜を築造した。この塩田干拓により17戸の寒村が300戸余の村となったと伝える。<参考文献>香川県女子師範学校編『塩田研究』,水上清『塩と碑文』
(廣山堯道)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報