能登総持寺二世峨山韶碩の門弟通幻寂霊は、康暦元年(一三七九)八月二八日安宅
当地には藩の御船方の機能が集中し、安宅役所、御船屋(船置場)、鍛冶屋敷(御鍛冶蔵)のほか、藩の船頭役や水主の屋敷があった(天和三年渭津城下之絵図)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
能の曲名。四番目物。現在物。観世信光作。シテは武蔵坊弁慶。安宅関の関守富樫(とがし)(ワキ)は,源義経捕縛の命を受けている。兄頼朝に追われている義経は,家来の弁慶たちと山伏に変装して奥州へ落ちのびる途中,この関にさしかかる。弁慶は,東大寺復興の寄付を募る山伏と偽り,持ちあわせの経巻を勧進帳と名付けて,寄付募集の趣旨を即席に案文しながら読みあげ(〈読物〉),いったんは通過を許される。しかし,わざと重荷を背負っていた義経が見とがめられたので,弁慶は足弱なため疑われたのだとののしって,金剛杖で打ちすえ,事なく通過する。一行は山陰で足を休め,義経の不運を嘆き合う(〈クセ〉)。そこへ富樫が追って来て,見まちがえをわびて酒を勧めるので,弁慶は杯を受けて舞を舞い(〈男舞〉),別れを告げて道を急ぐ。見せ場が多い能だが,読物と男舞が中心。読物は,漢文体の散文を鼓のリズムに乗せて謡いあげる特殊な部分で,信光より前の作者にはない形式。この能の男舞には,〈延年之舞〉〈滝流シ〉などの変型の演出もある。なお義経役は子方(こかた)とする。
執筆者:横道 万里雄
歌舞伎,浄瑠璃の一系統。能《安宅》や曲舞(くせまい)《富樫》などを,歌舞伎や浄瑠璃にとり入れたもの。歌舞伎の代表曲は歌舞伎十八番の《勧進帳》。十八番の原拠となった《星合十二段》(初演1702年2月),その後日狂言《新板高館弁慶状(しんぱんたかだちべんけいじよう)》(1702年7月)がある。長唄の名曲として残っている《隈取安宅松(くまどりあたかのまつ)》は《雪梅顔見勢(むつのはなうめのかおみせ)》(1769年11月)の道行の場面であり,《芋洗(いもあらい)勧進帳》の通称で親しまれている《御摂(ごひいき)勧進帳》(1773年11月),《滑稽俄安宅新関(おどけにわかあたかのしんせき)》(1865年10月)などがある。以上が江戸の系統で,上方にも《安宅》の後日物語の場面がある《日本第一和布苅神事(につぽんだいいちめかりのしんじ)》(1773年2月,大坂)などがある。浄瑠璃には,近松門左衛門作に《凱陣八島(がいじんやしま)》(1685),《文武五人男》(1694年7月以前),《殩静胎内捃(ふたりしずかたいないさぐり)》(1713年閏5月)などがあり,並木宗輔には《清和源氏十五段》(1727年2月)がある。その他,土佐節の《あたかたかたち》,河東節の《色あたか》,半太夫節の《安宅道行》《勧進帳》,一中節の《勧進帳》,長唄の《安宅勧進帳》などの音曲も伝えられている。
→勧進帳
執筆者:鳥越 文蔵
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
能の曲目。四番目物。五流現行曲。『義経記(ぎけいき)』などに拠(よ)ったもので、観世小次郎信光(のぶみつ)の作とも、不明ともいわれる。関守の武士の情を強調する歌舞伎(かぶき)の『勧進帳(かんじんちょう)』の原典としても名高いが、関守の富樫(とがし)(ワキ)と弁慶一行(シテとツレ大勢)との力の激突の演出に能の主張がある。『勧進帳』が伴(とも)の山伏を四天王とし、いっそうの様式化を果たしているのに対し、『安宅』では本文どおり12人近くの山伏が登場する。義経(よしつね)の役を子方とするのも能の演出である。偽(にせ)山伏となって奥州へ下る義経主従を捕らえるための新関が設けられる。都から北陸路にかかる義経一行。山伏に限って通さぬ関との情報に、義経は荷物持ちに身をやつす。関守の阻止。祈祷(きとう)による威嚇(いかく)。白紙の勧進帳(東大寺再建のための寄付集めの趣意書)の読み上げ。見とがめられた義経。主君を金剛杖(こんごうづえ)で打つ弁慶の苦しみ。力で制圧して関を通る一行。山中での愁嘆。関守の追尾。薄氷を踏む思いで弁慶は酒宴に舞い、ついに虎口(ここう)を脱する。以上、緊密な構成と集団による能舞台の活用のみごとさ、劇的な現在能の大作である。漢文調の勧進帳の謡はとくにむずかしい作曲で、弁慶の舞にも、寺院の伝える芸能である延年の舞を加味した、変化に富む演出が伝承されている。なお、後にこの能から、浄瑠璃(じょうるり)、長唄(ながうた)、歌舞伎などに、いわゆる「安宅物」というジャンルが生まれた。
[増田正造]
石川県小松市の一地区。旧安宅町。梯川(かけはしがわ)の河口にあり、港町として栄えたが、1897年(明治30)北陸本線が小松まで開通してから衰退し、漁港となった。現在、織物業が盛んで、小松市街への通勤者が多く、住宅団地が建設されている。古代は加賀(石川県)国府の外港であり、加賀七駅の一つであった。謡曲の『安宅』、歌舞伎(かぶき)の『勧進帳(かんじんちょう)』で名高い安宅ノ関跡と安宅住吉神社が砂丘上にある。安宅ノ関は、源頼朝(よりとも)の命で守護富樫(とがし)氏が設けたといわれ、その関跡は1939年(昭和14)県史跡に指定された。街には廻船(かいせん)問屋の邸(やしき)も残っている。
[矢ヶ崎孝雄]
『『安宅誌』(1933・安宅関趾保存会)』
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…【砂山 稔】
[朝鮮]
朝鮮では,家庭内の守護神であるソンジュsŏngjuの配下にあって刑罰を執り行う気難しい若い女性の神と考えられている。便所の天井に布片や紙片を貼り付けたり吊るしたりする以外には神体を表示するものはなく,特定の祭日もないが,家庭の平安を祈る〈安宅〉の祭りには厠にも餅を供えたりする。またふだん便所を使用する際には,厠神の気を損なわないように咳払いをして告げてから入る習わしがある。…
…読物は普通の曲にない特殊な曲節に作曲されているが,現在は伝承が絶えている。(2)能《安宅(あたか)》の部分の名。関守の疑いを解くため,弁慶(シテ)が即席に案文しながら偽りの勧進帳を読み上げる部分。…
…仏教では〈論義〉と称し,問者と答者(たつしや)の間には一定の様式があり,その形式は能の謡にも影響を与えている。また修験(しゆげん)の徒の問答も芸能に多くとり入れられ,能の《安宅(あたか)》では,現在も金剛流の特殊演出として〈山伏問答〉(〈問答之習〉)がある。彼らが伝承した修験系の神楽(かぐら)の能には,問答が主体となる曲もある。…
※「安宅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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