棚倉野
たなくらのの
歌枕。「万葉集」巻一九に
<資料は省略されています>
とある。式内社棚倉孫神社の鎮座する綴喜郡田辺町の棚倉の地ともされるが、左注に「治部卿船王伝誦之久邇京時歌」とあることによれば、恭仁京(跡地は現加茂町)との地理的関係から山城町の平尾・綺田辺りが適当と考えられる。天平一九年(七四七)の大安寺伽藍縁起并流記資財帳(正暦寺蔵)の、「処処庄拾陸処」の「山背国三処」のうちに相楽郡の「棚倉瓦屋」があり、嘉吉元年(一四四一)の「興福寺官務牒疏」は綺田にあった光明山寺について「在
相楽郡相谷棚倉山
」と記しており、当地辺りに古くより棚倉の地名があったといえよう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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