日本歴史地名大系 「棡原村」の解説 棡原村ゆずりはらむら 山梨県:北都留郡上野原町棡原村[現在地名]上野原町棡原上野原村の北、桂川支流鶴(つる)川の上流域に位置し、山深い谷間の村である。尾根を境に北東は武蔵国、南東は相模国で、村西端の三国(みくに)峠が甲・相・武の境界となっている。北西は西原(さいはら)村。譲原・杠原とも記した。「甲斐国志」は「此村八村ニ分レ各々里長アリ、八村内又各支村アリ」と記し、文化三年(一八〇六)の村明細帳(甲斐国志編纂資料)では名主八名・組頭七名・百姓代八名が連署している。同明細帳によれば、八村(組)とは尾続(おづく)・用竹(ようだけ)・井戸(いど)・小伏(こぶし)・猪丸(いまる)・日原(ひばら)・大垣外(おおがいと)(大垣内)・沢渡(さわたり)の八つである。ただし元禄郷帳は枝郷として黒田(くろだ)・辛夷(こぶし)(小伏)・新谷(にいや)(新屋)・井戸・和田宮・椿(つばき)・尾津久(おづく)(尾続)・用竹・勘弥(神庭)・桐壺(きりつぼ)(桐坪)・神戸(ごうど)・大貝戸(おおがいと)(大垣内)・日原・沢渡・小杠原(こゆずりはら)・湯(ゆ)ノ窪(くぼ)の諸村をあげている。地内照峯(てるみね)社(古くは蔵王権現)の永正八年(一五一一)の鰐口銘に「奉懸蔵王権現鰐口壱旦那虎伏ツル坊丸、甲州棡原郷テラサワ村」とあり、同じく地内日寄(ひより)神社の天文一六年(一五四七)の棟札には「甲州都留那棡原沢渡村」、「大旦那藤原継貞佐渡新五郎」とみえる(上野原町誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by