森政地頭村・森政領家村(読み)もりまさじとうむら・もりまさりようけむら

日本歴史地名大系 「森政地頭村・森政領家村」の解説

森政地頭村・森政領家村
もりまさじとうむら・もりまさりようけむら

[現在地名]大野市森政地頭・森政領家

清滝きよたき川右岸にあり、北西北御門きたみかど村、東南開発かいほつ村。村名は永正元年(一五〇四)一二月二五日の宝慶寺寺領目録(宝慶寺文書)に「守正小山城北」とみえる。永禄一二年(一五六九)六月一六日の同寺領目録(同文書)にも「守正村」とある。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図には「守政領家地頭」高五五〇・〇三九石とあり、当時両村に分れていたとも推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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