日本歴史地名大系 「森河内村」の解説 森河内村もりがわちむら 大阪府:東大阪市旧布施市地区森河内村[現在地名]東大阪市森河内〈本通(ほんどおり)一―三丁目・西(にし)一―二丁目・東(ひがし)一―二丁目〉・森河内・古川(ふるかわ)町・島(しま)町若江郡に属し、東は稲田(いなだ)村・川俣(かわまた)村。大和川付替えまでは、新開(しんかい)池から西流してきた流れに村の北東で楠根(くすね)川が、北西部で長瀬(ながせ)川が各々合流していた。「私心記」の天文三年(一五三四)三月一〇日条に「御厨・杜河内セメ落候」とある。同年一〇月一一日条には「河内丹下備後森河内ヘ陣取候」とみえ、同月二〇日条によると細川晴元方と石山(いしやま)本願寺(跡地は現東区)との合戦が「森河内之南」で行われている。慶長一九年(一六一四)の大坂冬の陣では徳川方の本多忠朝が布陣した(譜牒余録)。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳・延宝年間(一六七三―八一)河内国支配帳・天和元年(一六八一)河州各郡御給人村高付帳いずれも高五八二石余で幕府領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by