日本歴史地名大系 「棲真寺」の解説 棲真寺せいしんじ 広島県:賀茂郡大和町別所村棲真寺[現在地名]大和町平坂大和町の南端に位置し、古く参道は南接する豊田郡本郷(ほんごう)町船木(ふなき)より通じていた。臨済宗妙心寺派で応海山と号し、当初は応海(おうかい)寺とも称した。古く「栖真寺」とも書く。本尊千手観音。延宝五年(一六七七)、僧仲芳の撰になる応海山棲真禅寺記(当寺蔵)によると、源頼朝の娘で、土肥(小早川)遠平に嫁し、建保四年(一二一六)七月二七日に早世した法名天窓妙仏の菩提を弔うため、承久元年(一二一九)に土肥実平が創建した寺で、のちに遠平が諸堂寮舎を造営したという。妙仏の母も当寺に住して法名を長源院殿梅岳寿庵尼といった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の棲真寺の言及 【大和[町]】より …米作,養豚,養鶏が盛んで,ブドウ,ナシ,モモの観光農園があり,特産にマツタケがある。臨済宗の古刹(こさつ)応海山棲真寺があり,鎌倉期の作とされる木造二十八部衆立像のうち13体を安置する。【清水 康厚】。… ※「棲真寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by