20世紀日本人名事典 「植村 正久」の解説
植村 正久
ウエムラ マサヒサ
明治・大正期の牧師,神学者,評論家 東京神学社創設者;番町一致教会牧師。
- 生年
- 安政4年12月1日(1858年)
- 没年
- 大正14(1925)年1月8日
- 出生地
- 江戸芝露月町
- 出身地
- 上総国山辺郡武謝田村(現・千葉県東金市)
- 別名
- 幼名=道太郎,号=謙堂,謙堂漁叟,桔梗生
- 経歴
- 明治元年一家で横浜に移る。6年プロテスタント教会横浜公会で受洗し、宣教師S・R・ブラウンの神学塾で神学教育を受ける。12年下谷一致教会牧師となり、18年開拓伝道を開始し、20年番町一致教会(現・富士見町教会)を設立、終生その牧師を務める。この間、日本基督公会、日本基督一致教会、日本基督教会で指導的役割を果たした。37年神学校の東京神学社を創設し、神学教育と牧師の養成にあたった。一方、文筆による社会活動も行い、13年「六合雑誌」の創刊に際して編集者となり、17年「真理一斑」を、18年「福音道志流部」を刊行。さらに「日本評論」「福音週報」の主筆としても活躍した。「旧約聖書」の翻訳、西洋文学の紹介など、近代文学に与えた影響は大きいものがある。「植村正久著作集」(全7巻)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報