1880年(明治13)5月、小崎弘道(こざきひろみち)らが東京基督(キリスト)教青年会をおこし、10月に青年会雑誌局から創刊したキリスト教の総合雑誌。月刊、天地22.5センチメートル×左右15.5センチメートル、64ページ、定価10銭。「六合」はコスモス(宇宙)の意。創刊号には、発行の趣意のほか、高橋五郎(吾良(ごろう)。1856―1935)の「宗教と哲学」、小崎訳の「人類ノ起源」、「印度(インド)沿革ノ説」、雑録、雑報、中村正直(なかむらまさなお)(敬宇)、津田仙(つだせん)の祝詞がある。編集内容は、宗教のほか、修身、学術、教育、政治、経済などであるが、のちに社会、哲学、思想、文芸に及んだ。執筆者は、浮田和民(うきたかずたみ)、植村正久、フルベッキ、竹越与三郎、徳富蘇峰(とくとみそほう)、大西祝(おおにしはじめ)、加藤弘之(かとうひろゆき)、内村鑑三(うちむらかんぞう)ほか。小崎の「近世社会党ノ原因ヲ論ス」(1881年5月号、第7号)は、マルクスの社会主義を日本に紹介した最初の論文といわれている。また、日清(にっしん)戦争後の社会主義運動に大きな影響を及ぼした。
編集は小崎のあと、安部磯雄(あべいそお)、鈴木文治(すずきぶんじ)、工藤直太郎(1895―?)らがかかわった。発行所は、警醒(けいせい)社、日本ゆにてりあん弘道会、統一基督教弘道会、六合雑誌社と変わった。1921年(大正10)2月、第41巻第2号で終刊した。
[矢作勝美 2018年9月19日]
キリスト教を基礎とした月刊総合雑誌(1880-1921)。小崎弘道(のちに横井時雄,原田助など)を編集人とし,東京YMCA(のちに警醒社,六合雑誌社)より刊行され,とくに進化論,合理主義,国家道徳の問題に取り組んだ。1890年代より自由主義神学に赴き,98年よりユニテリアン誌《宗教》と合併し,日本ゆにてりあん弘道会刊行となる。安部磯雄らによる社会問題,社会主義者の理論や活動に関する論文が多くなったこともあるが,その革新的論調は社会に大きな影響力をもった。
執筆者:土肥 昭夫
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キリスト教主義の明治・大正期の総合雑誌。1880年(明治13)10月,小崎弘道(こざきひろみち)・植村正久(まさひさ)らにより結成された東京青年会(YMCA)の機関誌として警醒社から発刊。内容はキリスト教に関する論説のほか,政治・文学・芸術・社会問題など多岐にわたる。98年ユニテリアン派の機関誌「宗教」を合併吸収し,同派から発行。社会主義研究会の機関誌的役割もはたすようになった。1921年(大正10)2月終刊。同年発行の「創造者」は後継誌。
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…1891年東京専門学校(現,早大)講師となり,98年まで哲学,心理学,論理学,倫理学,美学などを担当し,坪内逍遥とともに早大文科の基礎を築いた。《六合(りくごう)雑誌》を編集し,評論界でも鋭筆を発揮し,96年には姉崎正治らと〈丁酉(ていゆう)倫理会〉を組織した。98年ドイツに留学し,その間京都帝大文科大学学長就任が内定していたが,病気のため99年帰国し,翌年没した。…
…熊本藩士の子に生まれ,熊本バンドに入るが,キリスト教入信は少し後である。1879年同志社卒業後東京で伝道し,《六合雑誌》《東京毎週新報》を刊行し,新島襄の死後同志社の校長ついで社長(1890‐97),さきの東京伝道でその基礎をつくった霊南坂教会牧師(1899‐1931),引退後同教会名誉牧師となった。彼の《政教新論》(1886)は封建教学である儒教を鋭く批判し,近代国家の建設にはキリスト教を精神的基礎とすべきことを唱えるが,その発想は儒教的である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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