日本歴史地名大系 「椹野庄」の解説
椹野庄
ふしののしよう
椹野川の下流沿岸、現在の小郡町を中心に、北は山口市
椹野庄は、古代の
椹野庄の史料上の初見は天暦四年(九五〇)の東大寺封戸荘園并寺用帳(東南院文書)で、「周防国吉敷郡椹野庄田九十一町六段十九歩」とある。しかし長徳四年(九九八)頃にはすでに椹野庄は荒廃状態であった(「東大寺領諸国荘家田地目録」東南院文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
椹野川の下流沿岸、現在の小郡町を中心に、北は山口市
椹野庄は、古代の
椹野庄の史料上の初見は天暦四年(九五〇)の東大寺封戸荘園并寺用帳(東南院文書)で、「周防国吉敷郡椹野庄田九十一町六段十九歩」とある。しかし長徳四年(九九八)頃にはすでに椹野庄は荒廃状態であった(「東大寺領諸国荘家田地目録」東南院文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...