椹野庄(読み)ふしののしよう

日本歴史地名大系 「椹野庄」の解説

椹野庄
ふしののしよう

椹野川の下流沿岸、現在の小郡町を中心に、北は山口市朝田あさだ、南は山口市嘉川かがわ辺りの地と思われる。

椹野庄は、古代の浮囚ふしゆう郷および賀宝かがほ郷の閑地東大寺が開墾して立荘した荘園で、その成立時期は天平勝宝四年(七五二)ともいわれる。仁平三年(一一五三)四月の東大寺諸荘園文書目録(守屋孝蔵氏所蔵文書)には「周防国椹野庄 一巻卅六枚 天平勝宝六年産業勘定、一巻卅三枚 天平宝字四年産業勘定、一巻十一枚 同年雑文書、一巻四枚 同五年官符坪付」とあって、東大寺竣工と同時代の奈良時代中期の開発であることがわかる。

椹野庄の史料上の初見は天暦四年(九五〇)の東大寺封戸荘園寺用帳(東南院文書)で、「周防国吉敷郡椹野庄田九十一町六段十九歩」とある。しかし長徳四年(九九八)頃にはすでに椹野庄は荒廃状態であった(「東大寺領諸国荘家田地目録」東南院文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報