朝日日本歴史人物事典 「楠本碩水」の解説
楠本碩水
生年:天保3.1.26(1832.2.27)
幕末明治時代の儒学者。名は孚嘉,字は吉甫,通称は謙三郎,碩水または天逸と号した。平戸藩士の子として,肥前針尾島(長崎県佐世保市)に生まれる。藩学維新館に学んだのち,九州遊学に出,広瀬淡窓の門に入る。さらに,肥後(熊本県)長洲の月田蒙斎から,崎門(山崎闇斎学派)の朱子学を承ける。25歳で藩学の助教となり,江戸に遊学して佐藤一斎に従学する。明治1(1868)年に貢士に任ぜられ役職に就くが,3年,棄禄して故郷に帰り,以後隠逸の生活を送る。兄の端山と共に,鳳鳴書院を建て,門人を育成する。崎門の朱子学を終生信奉したが,思想史に対する見方や,中国・日本の儒学者などに対する簡潔な評語には,鋭いものがみられる。編著に『朱王合編』(全4巻付1巻),『碩水先生遺書』(全12巻)などがあり,『楠本端山・碩水全集』に収められている。<参考文献>藤村禅『楠本碩水伝』
(柴田篤)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報