朝日日本歴史人物事典 「楠本端山」の解説
楠本端山
生年:文政11.1.15(1828.2.29)
幕末明治期の儒学者。名は後覚,字は伯暁,端山または悔堂と号した。平戸藩士の子として,肥前針尾島(長崎県佐世保市)に生まれる。藩学維新館に学んだのち,江戸で佐藤一斎に従学する。帰藩後,儒員兼侍講となり,学制の改革を行ったり,治政の緊要十事を進言するなど,幕末の藩政に功績があった。維新後,官を辞し,郷里に鳳鳴書院を建て,門人を育成する。月田蒙斎に師事して,闇斎学派の朱子学を信奉した。静座体認を重んじたが,その家学は,孫楠本正継の『宋明時代儒学思想の研究』に繋がる。著書に『端山先生遺書』(全4巻)などがあり,『楠本端山・碩水全集』に収められている。楠本碩水は弟。<参考文献>岡田武彦『楠本端山』
(柴田篤)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報