楠本端山(読み)くすもと・たんざん

朝日日本歴史人物事典 「楠本端山」の解説

楠本端山

没年:明治16.3.18(1883)
生年:文政11.1.15(1828.2.29)
幕末明治期の儒学者。名は後覚,字は伯暁,端山または悔堂と号した。平戸藩士の子として,肥前針尾島(長崎県佐世保市)に生まれる。藩学維新館に学んだのち,江戸で佐藤一斎に従学する。帰藩後,儒員兼侍講となり,学制の改革を行ったり,治政の緊要十事を進言するなど,幕末の藩政功績があった。維新後,官を辞し,郷里に鳳鳴書院を建て,門人を育成する。月田蒙斎に師事して,闇斎学派の朱子学を信奉した。静座体認を重んじたが,その家学は,孫楠本正継の『宋明時代儒学思想の研究』に繋がる。著書に『端山先生遺書』(全4巻)などがあり,『楠本端山・碩水全集』に収められている。楠本碩水は弟。<参考文献>岡田武彦『楠本端山』

(柴田篤)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「楠本端山」の解説

楠本端山 くすもと-たんざん

1828-1883 幕末-明治時代の儒者
文政11年1月15日生まれ。楠本碩水(せきすい)の兄。肥前平戸藩(長崎県)藩士。佐藤一斎,大橋訥庵(とつあん)に朱子学をまなぶ。藩校維新館の助教,侍講となり,藩主松浦詮(あきら)に尊攘(そんじょう)思想を説く。明治14年郷里の長崎県針尾島に鳳鳴(ほうめい)書院をひらいた。明治16年3月18日死去。56歳。名は後覚。字(あざな)は伯暁。別号に悔堂。著作に「鞋韈日暦(あいべつにちれき)」「松島行記」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の楠本端山の言及

【静坐】より

…明の王陽明は〈事上磨練〉によって静坐を止揚した。幕末の儒者楠本端山は,静坐中,線香の灰が香炉に落ちるのを見て,万物一体を悟ったという。【三浦 国雄】。…

※「楠本端山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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