ブロッホ(読み)ぶろっほ(英語表記)Ernest Bloch

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブロッホ」の意味・わかりやすい解説

ブロッホ(Konrad Emil Bloch)
ぶろっほ
Konrad Emil Bloch
(1912―2000)

アメリカの生化学者。ドイツ生まれ。ミュンヘン工科大学卒業。1936年渡米しコロンビア大学で学位を取得、1954年ハーバード大学教授となり、1978年に退職するまでその地位にあった。コロンビア大学でシェーンハイマーRudolf Schoenheimer(1898―1941)に師事し、同位元素を用いて酢酸が動物のコレステロールの前駆体であることを示した。1946~1948年ごろ、酢酸→イソペンタニルユニット→スクワレンスクアレン)→ラノステロール→コレステロールというコレステロール生合成経路を明らかにし、またステロイドホルモンコルチゾン性ホルモン)がコレステロールから生合成されることを示した。また不飽和脂肪酸の好気的不飽和化、嫌気的不飽和化の詳細な研究、長鎖脂肪酸の研究も重要である。1964年、F・リネンとともに、「コレステロールと脂肪酸の代謝の機構と調節に関する発見」によりノーベル医学生理学賞を受賞した。

[石館三枝子]


ブロッホ(Ernst Bloch)
ぶろっほ
Ernst Bloch
(1885―1977)

ドイツの哲学者。ユダヤ人鉄道官吏の息子として、ルートウィヒスハーフェンに生まれる。ハイデルベルク大学でマックス・ウェーバーに学び、ヤスパースやルカーチと知り合う。とくにルカーチとは、以後、終生のライバルとなる。第一次世界大戦中はスイスに亡命、平和と社会主義のために活躍する。1918年『ユートピアの精神』を刊行。1920年ドイツに戻る。1922年『トーマス・ミュンツァー』を刊行。このため、1933年、ナチスに迫害され、ふたたびスイスに亡命。この間『この時代の遺産』(1935)を執筆。1938年アメリカに移住。モスクワ亡命のルカーチと「表現主義論争」を展開。他方、主著『希望の原理』を書き続ける。第二次世界大戦後、アドルノによってフランクフルト大学へ誘われるが、謝絶。東ドイツのライプツィヒ大学に移る。1954~1955年『希望の原理』初版を刊行。しかし、東ドイツ当局とあわず、1961年に、ベルリンの壁が築かれたとき、西ドイツ旅行中の彼は、そのまま亡命、チュービンゲン大学に移籍。1961年『自然権と人間の尊厳』、1962年『異化』、1963~1964年『チュービンゲン大学哲学序説』、1969年『キリスト教の中の無神論』、1972年『唯物論問題、その歴史と実体』をそれぞれ刊行。彼の思想は、マルクス主義とメシア的救済思想のアマルガムともいうべきものであり、ベンヤミンやアドルノらとの相互影響、さらには、第二次世界大戦後の旧西ドイツの非教条的反体制派、エコロジー派への影響なども記憶されるべきである。

[清水多吉 2015年4月17日]

『片岡啓治・種村季弘他訳『異化』(1971・現代思潮社/船戸満之他訳・1986/新装復刊・1997・白水社)』『山下肇・瀬戸鞏吉他訳『希望の原理』全3巻(1982/全6巻・2012、2013・白水社)』『池田浩士訳『この時代の遺産』(1982・三一書房/ちくま学芸文庫)』『エルンスト・ブロッホ著、竹内豊治訳『哲学の根本問題』(1972・法政大学出版局)』『樋口大介・今泉文子訳『トーマス・ミュンツァー――革命の神学者』(1982・国文社)』


ブロッホ(Hermann Broch)
ぶろっほ
Hermann Broch
(1886―1951)

オーストリアの小説家。ウィーンのユダヤ系大紡績会社社長の子として生まれる。ウィーン工業大学卒業後、父の会社に入り、30歳で社長となる。実業界でオーストリア経営者連盟の理事、労働裁判所の労資調停委員、失業対策委員などを務め活躍したが、1927年41歳のとき突然これらの活動からいっさい手を引き、ウィーン大学で哲学や数学、心理学を研究するかたわら、長編小説『夢遊の人々』(1931~32)を書き始める。この作品は、19世紀末から第一次世界大戦末までの時代の底流をとらえ、人々の精神的な危機を摘出し、エッセイの形で文明批評をも盛り込んだ破格の小説で、出版されるとたちまち識者の間で高く評価された。38年、ナチスがオーストリアを併合するとすぐリベラルなユダヤ人作家として逮捕されたが、ジョイスなど外国作家たちの努力でイギリスに逃れ、さらに、すでに亡命していたトーマス・マンの招きでアメリカに亡命した。幾多の辛苦を重ねたのち、すでにナチス拘禁下に構想していた『ウェルギリウスの死』を45年に完成した。古代ローマの大詩人の臨終の数時間を描いたこの長編詩は、大詩人に仮託して、ナチスが猛威を振るう時代における芸術や文学の存在に対する深い疑念とその無力についての深い認識を語り、いわば文学を克服する文学となっている。今日この大作は20世紀文学の主要な作品の一つに数えられ、ブロッホはジョイス、カフカと並び称されるまでになった。

 ほかに、小市民の罪なき人々の罪を描いた『罪なき人々』(1950)、山村に現れた口達者な放浪者が村人を口車にのせ、殺人まで犯させる遺作『誘惑者』(1953)、ナチス現象を歴史的必然としてとらえ、精神的荒廃からのよみがえりのために宗教にかわるヒューマニズムへの回心を説く未完論集『群衆心理学』(1957)などがある。またエール大学教授を務めながら、51年心臓麻痺(まひ)で亡くなるまで、人権擁護の文筆活動を続けていた。

[入野田眞右]

『川村二郎訳『ウェルギリウスの死』(『世界の文学13』所収・1977・集英社)』


ブロッホ(Ernest Bloch)
ぶろっほ
Ernest Bloch
(1880―1959)

スイス生まれの作曲家。ジュネーブでジャック・ダルクローズに、ブリュッセルでイザイに師事したのち、フランクフルト、ミュンヘンで学ぶ。一時帰国してジュネーブで指揮・教職活動を行ったのち、1916年渡米。クリーブランド(1920~25)、サンフランシスコ(1925~30)で音楽院長を務めた。41年オレゴン州に定住し、52年までバークリーのカリフォルニア大学で夏期講座を担当した。弟子にセッションズらがいる。ユダヤ人であった彼は、チェロと管弦楽のためのヘブライ風ラプソディ『シェロモ』(1915~16)、バイオリンと管弦楽のための『バアル・シェム』(1923)など、ユダヤ的精神を土台に、ユダヤ的題材による作品を多く書いた。

[寺田由美子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブロッホ」の意味・わかりやすい解説

ブロッホ
Bloch, Ernst

[生]1885.7.8. ルートウィヒスハーフェン
[没]1977.8.4. シュツットガルト
ドイツの哲学者。マルクス主義の不完全な現実観を完成させるべく「希望の哲学」を唱道した。1918年ライプチヒ大学で哲学者としてのキャリアを開始するが,1933年ナチスに追われスイスに,その後アメリカ合衆国へ亡命。代表作『希望の原理』Das Prinzip Hoffnung(全3巻,1954~59)のうち 1巻,2巻をアメリカで執筆した。1948年,ドイツ民主共和国(東ドイツ)に帰国し,ライプチヒ大学で教授の座につく。マルクス主義思想の変遷に対する批判を展開して共産党幹部の怒りを買い,1953年から主幹を務めた哲学誌 "Deutsche Zeitschrift für Philosophie"は発売禁止となり,自身も出版活動を禁止された。1957年,著作が没収処分を受けた。1961年にドイツ連邦共和国(西ドイツ)へ亡命し,テュービンゲン大学で教鞭をとった。

ブロッホ
Broch, Hermann

[生]1886.11.1. ウィーン
[没]1951.5.30. ニューヘーブン
オーストリアの作家。ユダヤ人の父親の紡績工場を継ぐため,工業大学などで紡績技術を学びながらも,哲学や数学にも強い興味をもつ。卒業後,父の事業を継ぐが,1927年突然工場をやめ,1928~31年ウィーン大学で改めて数学,哲学,心理学を学ぶ。また最初の長編小説『夢遊の人々』 Die Schlafwandler (31~32) を著わし,第1次世界大戦の終結によって旧秩序が崩壊し,なんのよりどころもないままにさまよい歩く人々の姿を描出した。 38年ナチスに捕えられたが,ジョイスらの努力で釈放,その後イギリスを経てアメリカに亡命,エール大学でドイツ文学を講じた。その間,代表作『ウェルギリウスの死』 Der Tod des Vergil (45) を完成させた。彼の偉大さは内的独白,対象による表現形式の転換などの新しい様式を用い,学問的認識,省察,夢を詩的領域に取入れた点にある。ほかに『罪なき人々』 Die Schuldlosen (50) など。

ブロッホ
Bloch, Konrad

[生]1912.1.21. ナイセ
[没]2000.10.15. マサチューセッツ,バーリントン
アメリカの生化学者。ブロックとも呼ばれる。 1934年ミュンヘン工科大学卒業。ナチスの弾圧を逃れて 36年アメリカに渡り,44年アメリカ市民権を得た。コロンビア大学で生化学を学び,1938年博士号を取得。 46~54年シカゴ大学,54年ハーバード大学で生化学教授を歴任。重水で標識した酢酸を使ってコレステロールを追跡し,酢酸がイソプレノイドを経てコレステロールになる過程と,その調節機構を解明した。また酵素による不飽和脂肪酸の生合成を研究,64年 F.リネンとともに,コレステロールと脂肪酸の代謝機構と調節の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞した。

ブロッホ
Bloch, Felix

[生]1905.10.23. チューリヒ
[没]1983.9.10. チューリヒ
スイス生れのアメリカの物理学者。チューリヒのスイス連邦工科大学を終え,ライプチヒ大学で W.ハイゼンベルクの助手をつとめ,1928年学位を取得。固体の量子論を研究し,周期性をもつ場の中の電子の波動関数 (ブロッホ関数) を発表。 34年アメリカのスタンフォード大学に移り,39年 L.アルバレとともに中性子の磁気能率の測定に成功。第2次世界大戦中は原子力およびレーダの研究に従事。 45年スタンフォード大学に戻り,46年核磁気誘導法による核磁気モーメントの測定法を案出。 52年 E.パーセルとともにノーベル物理学賞を受賞した。

ブロッホ
Bloch, Ernest

[生]1880.7.24. ジュネーブ
[没]1959.7.15. ポートランド
スイスに生れ,アメリカで活躍したユダヤ人作曲家。 J.ダルクローズに師事,ブリュッセル音楽院に学んだのち,ベルギー,ドイツ,フランスに学ぶ。 1916年渡米して,23年アメリカの市民権を得た。クリーブランド,サンフランシスコなど各地の音楽学校に勤め,30年いったんスイスに戻ったが,39年に再び渡米した。主要作品はチェロとオーケストラのヘブライ風ラプソディ『シェロモ』 (1913~17) ,ユダヤ教のための典礼音楽,室内楽,バイオリン・ソナタ,五重奏曲。

ブロッホ
Bloch, Joseph Samuel

[生]1850.11.20. デュクラ
[没]1923.10.1. ウィーン
オーストリア生れのラビ,ジャーナリスト。反ユダヤ主義に対して論陣を張り,人権擁護のために戦った。主著『イスラエルと諸民族』 Israel und Völker (1922) 。

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