楠窪村(読み)くすくぼむら

日本歴史地名大系 「楠窪村」の解説

楠窪村
くすくぼむら

[現在地名]丹原町楠窪

中山なかやま川右岸の山間部に位置する。東は千足山せんぞくやま(現小松町)に、南は明河山みようがやま村に、西は明河山村鞍瀬山くらせやま村・湯屋口ゆやぐち村・志川しかわ村に、北は志川・寺尾てらおの各村に接する。山深く土地険阻で渓谷は二〇に及ぶ。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)周布しゆうふ郡の項に「高百三石 畠方 楠窪村 林山有」とあり、元禄一三年(一七〇〇)の領分附伊予国村浦記も同石高で「松平隠岐守知行」とある。

中世には近辺の山間諸村と同じく、小豪族が砦にいて、河野氏らの強大勢力の抗争に巻き込まれたと思われ、得能氏・土居氏らに攻められ、「小松邑誌」には「攻楠窪守将阿曾太郎」などとみえる。戦国時代末期から長宗我部元親の支配となり、小早川隆景らの大領主時代を経て、寛永一二年(一六三五)に松山藩領となって幕末に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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