日本歴史地名大系 「楠窪村」の解説
楠窪村
くすくぼむら
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の
中世には近辺の山間諸村と同じく、小豪族が砦にいて、河野氏らの強大勢力の抗争に巻き込まれたと思われ、得能氏・土居氏らに攻められ、「小松邑誌」には「攻楠窪斬守将阿曾太郎」などとみえる。戦国時代末期から長宗我部元親の支配となり、小早川隆景らの大領主時代を経て、寛永一二年(一六三五)に松山藩領となって幕末に至る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報