極が谷遺跡(読み)ごくがたにいせき

日本歴史地名大系 「極が谷遺跡」の解説

極が谷遺跡
ごくがたにいせき

[現在地名]内海町安田 極が谷

三五郎(さんごろう)池の堤のすぐ上手にあり、昭和四年(一九二九)庭石の採石中に巨石の下から一個の銅鐸が発見された。銅鐸は押潰されたようになっていたが、総高三一・三センチの四区画袈裟襷文。その後この銅鐸出土地点の西方二メートルほどのところから、接合可能な平形銅剣の破片二点が発見され、昭和四五年にさらに一個分の銅剣の基部が出土。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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