刺突と斬撃のための両刃の武器。権威や宗教的な象徴としての機能もあった。
銅剣とはいえ,ほとんどの材質は青銅である。もっとも銅剣のはじまりはすでに銅器時代の末期にみられる。ハンガリーやユーゴスラビアにおけるブチェドールVučedol文化に属するものである。これらは剣身の元部に短い茎(なかご)がつき,ここに別材の柄(把)(つか)を目釘でとめたり,紐で緊縛するなどして固定する形の短剣である。オリエント起源か,それとも在地で独自に考案されたものなのかはまだわからない。青銅器時代に入ると,アナトリアやエーゲ海域,ブルガリアなどに,長さ20cm程度の二等辺三角形をなす短剣が認められる。剣身元部に2~3個の孔があき,別材でつくった柄をリベットで接合したものである。この形の銅剣は青銅器時代を通じてしだいに長さを増し,鉄剣に取って代わられるまでヨーロッパ一帯で愛用された。ただし,当初のものは剣なのか槍先なのか区別しがたいこともある。
エジプト,メソポタミアでは,茎つき銅剣が主流を占めるが,青銅器時代後半になって柄身をともに青銅で鋳造した有柄式銅剣があらわれる。ルリスタン青銅器として知られるものの大半がこの形式で,柄の両縁を肥厚させ,把り(にぎり)の部分に木や象牙などを嵌めこんで持ちやすくし,関(まち)に半月形,柄頭に扇形の飾りを施したものもある。中国内モンゴルのオルドス(綏遠(すいえん))青銅器や,雲南・四川を中心とした巴蜀(はしよく)文化の銅剣も有柄式である。このため,ルリスタン青銅器の影響が説かれているが,オルドスのいわゆるアキナケス式と呼ばれる銅剣は,スキタイの鉄剣の形を模倣したものであり,ルリスタンの銅剣自体もX線で透視した結果,本来は有茎式であってこれに青銅の柄を鋳ついだことがわかっている。遠隔の地に離れた文物どうしを,このように形の類似を理由に結びつけることは危険であろう。
執筆者:山本 忠尚
東アジアの銅剣は,中国中心地域の剣,中国北方地域の剣,中国遼寧地方から朝鮮および日本の剣に三大別できる。
中国中心地域では西周~春秋時代に銅剣が普及した。春秋前・中期には剣身と柄とを同鋳・別鋳するものがあり,剣身は断面が円形の脊(むね)をもつものが多い。春秋後期には,断面が菱形の剣身と円筒形ないし中実有節の柄とを同鋳するものがあり,桃氏剣と呼ぶことが多い。戦国時代にはこの剣が銅剣の主流となった。前漢代になると鉄剣が増加し,銅剣は後漢初めころには消滅した。
中国北方地域では遊牧民が独自の銅剣を用いた。この剣は剣身と柄とを同鋳し,西方起源の触角式柄頭飾をもつものが多い。剣身に断面円形の脊,関に舌状突起をもつカラスク式銅剣と,剣身の断面が菱形のオルドス式銅剣とがある。カラスク式銅剣が古い型式であり,中国中心地域で銅剣が普及する契機を与えた可能性がある。またオルドス式銅剣の柄頭飾は,遼寧,朝鮮,日本の銅剣の一部にも採用された。
遼寧地方で発達した遼寧式銅剣は,断面円形の脊をもつ剣身とT字形の柄とを別鋳する。朝鮮,日本の銅剣はこの剣の系譜下にある。朝鮮では遼寧式銅剣を祖型として前3世紀ころに細形銅剣を製作しはじめた。この剣は剣身側縁に刳り(えぐり)があり脊に鎬(しのぎ)を研(と)ぎ出す。古くは研ぎを刳りまで施し,後に関,茎にまで及ぶものが現れる。朝鮮でも前1世紀には鉄剣が普及し,後1世紀中ごろにはほぼ消滅した。
日本出土の銅剣は,剣身の長さが30cm程度で鋭利な細形銅剣,より大型で関部に双孔をもつものが多い中細形銅剣,剣身の刳り上端が突起となる中広形銅剣,刳りが消滅し突起が発達する広形銅剣に四大別できる。日本の初期の銅剣は細形銅剣であり,その多くは朝鮮製である。北九州地方では古式の細形銅剣を弥生時代前期末~中期初めの墓に副葬するが,最古の銅剣は弥生時代開始期に稲作および大陸系磨製石器とともにもたらされた可能性が高い。畿内地方でも銅剣形木製品の存在から,弥生時代前期に細形銅剣が存在したことがわかる。その多くは銅鐸の原料となったのであろう。弥生時代中期中ごろになると北九州地方では,新式の細形銅剣を墓に副葬するが,日本製の銅剣は古式の細形銅剣を祖型とするため,製作の開始はこれよりさかのぼるであろう。以後,日本の銅剣は武器としての鋭さより平面的な大きさを誇示するように変化した。分布は瀬戸内地方を中心とするようになり,弥生時代後期まで用いられた。また末期の銅剣は前期古墳に副葬された例がある。東アジアの多くの地域で銅剣がすたれて後も日本において銅剣が存続したのは,武器としてよりも祭器としての性格が強くなったからであり,青銅祭器を必要とする社会が存続したことを示している。なお1984年,島根県簸川郡斐川町神庭(現,出雲市斐川町神庭)の荒神谷(こうじんだに)遺跡で,埋納坑から358本におよぶ中細形銅剣がまとまって出土し,新たな問題を投げかけている。
執筆者:宇野 隆夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
青銅製の剣。柄(え)を共鋳した有柄(ゆうへい)式のものと、柄をつけて使用する無柄式または有茎式のものに大別できる。中国では西周時代に有茎式の銅剣が出現するが、春秋戦国時代には有柄式銅剣が使用された。紀元前一千年紀前半期には、中国東北地区から朝鮮半島に及ぶ広い地域で、有茎式の遼寧(りょうねい)式銅剣(=曲刃剣、琵琶(びわ)形短剣)が使用された。前3世紀ごろには、遼寧式銅剣から派生した細形銅剣が朝鮮半島でつくられ始めた。日本には弥生(やよい)時代前期末ごろ朝鮮から細形銅剣が舶載されたが、同中期中ごろには日本でも銅剣が製作され始めた。当初は舶載の銅剣に似たものがつくられていたが、しだいに大形化し、実用を離れ、祭器と化した。銅剣は、剣身の大きさによって、細形、中細形、中広形、平形(広形)の四類に分けられる。細形銅剣のうちの大部分は舶載であるが、なかには仿製(ぼうせい)(中国製のものを模倣して国産化)のものもあろう。中細形より大きいものは、みな仿製である。銅剣の製作は北部九州のみならず、瀬戸内沿岸や大阪湾沿岸でも製作され、各地に地域色の強い銅剣が分布している。1984年(昭和59)、島根県荒神谷(こうじんだに)遺跡から358本の中細形銅剣が一括して発見された。
[田村晃一]
青銅製武器の一種。身と柄が一つの鋳型から製作されたと考えられる有柄式,柄は別に作られ,身の端部に柄を装着する茎(なかご)をもつ有茎式と茎のない無茎式に大別される。中国東北地方の遼寧(りょうねい)式銅剣が朝鮮半島で細形銅剣に変化し,弥生前期後半頃に九州北部へもたらされたと考えられる。ほどなく日本でも製作が開始されるが,身の形状が細形・中細形・中広形・平形の順で大型化・扁平化の傾向をたどり,非実用的な祭器へと変化した。九州北部では中広形までが多く,後期にはほとんど姿を消すが,瀬戸内・大阪湾岸では薄い板状で刺突状の突起を誇張した平形銅剣が後期にも存在する。祭器化した銅剣は悪霊や悪獣を倒し,とくに平形銅剣は瀬戸内海の航行の安全を祈ったものという説もある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…したがって刀剣といった場合,広義には打物武器を汎称するものであり,剣,大刀(たち),太刀(たち),刀,脇指(わきざし),短刀などのことをいい,そのほか槍(やり)や薙刀(なぎなた)なども含まれる。日本では弥生時代に銅剣が用いられ始め,古墳時代初期には鉄剣と鉄刀の両方が存在し,後期ではほとんど鉄刀だけとなる。それらはすべて反りのない直刀であって,反りのついたいわゆる日本刀が完成されるのは,平安時代中期ころのことである。…
※「銅剣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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