榑木川
くれきがわ
梓川の旧流路を利用した堰で、下波田の押出から東へ、三溝の安養寺を経て、堀米村(現松本市)へ至っている。名称の起りは、榑木を梓川上流の南安曇郡安曇村や奈川村から流したことによる。榑木とは、檜・椹などの用材を皮付丸木のままでなく、白木・角材にして適当に切り、屋根板に利用できるようにしたものである。
享保九年(一七二四)の「信府統記」の島立組の項に「新村堰ハ押出辺ニテ別レ東ヘ流ル、安養寺ノ辺ニテ東新村ノ用水ニ別ケトル、榑木川トテ梓川ヨリ堀米ヘ諸木ヲ流シ入ル、枝川アリ東ニ流ル、是ニ古あっさトテ榑木川ノ別レアリ」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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