朝日日本歴史人物事典 「槻本老」の解説
槻本老
奈良時代の官人。槻本石村の子。槻本奈弖麻呂の父。天平勝宝1(749)年無位で越前国足羽郡(福井市ほか)の擬主帳であり,東大寺野占使として東大寺の墾田地占定に携わった。のち中央政界に進出し,光仁天皇に奉仕してその旧臣といわれた。ところが皇太子他戸親王と井上皇后はその奉仕ぶりをみて怒ることが多かった。そのため,宝亀3(772)年皇后が天皇に謀反を企んでいることが暴露される事件が起こったとき(井上皇后巫蠱事件),皇后と皇太子を取り調べ,ふたりの罪状を多く訴え,母子共に廃されるに至ったという。9年に正六位上から外従五位下に昇り,さらに左兵衛佐となった。
(橋本義則)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報