井上内親王(読み)いかみないしんのう

改訂新版 世界大百科事典 「井上内親王」の意味・わかりやすい解説

井上内親王 (いかみないしんのう)
生没年:717-775(養老1-宝亀6)

光仁天皇皇后。井上は〈いのうえ〉〈いのえ〉と称する説もある。父は聖武天皇,母は夫人県犬養広刀自。不破内親王安積親王の同母姉。721年(養老5)5歳で斎内親王卜定され,11歳から20年近く伊勢大神宮に侍した。のち白壁王(光仁天皇)の妃となり酒人内親王を生み,即位と同時に皇后となる。しかし772年(宝亀3)長年にわたり天皇を呪詛したとして,巫蠱(ふこ)・厭魅(えんみ)大逆の罪で廃后され,これが息子の他戸(おさべ)親王実子でないという説もある)の廃太子・皇籍剝奪事件に発展し,翌年天皇の同母姉難波内親王の死が彼女の厭魅によるとして,母子ともに大和国宇智郡に幽閉され,1年半後に日を同じくして没した。この死は他殺もしくは自殺の可能性が強く,没後早くから祟りを恐れ,墓を改葬山陵とし,后位を追復し吉野皇太后と追称したり,神社や山陵に幣帛読経奉納が行われている。この事件は藤原百川が中心となり天智天皇系の光仁-桓武の皇位継承を確立するため,天武天皇系の井上-他戸を廃する陰謀とみる説が有力である。事件の異常さは皇后が現身に竜となって祟ったとして早くから伝えられ,《水鏡》は天皇と皇后が美男美女を賭けた双六に端を発し背後に百川の暗躍する怪奇な事件とし,百川は怨霊となった皇后に悩まされて死んだとする。《愚管抄》も百川に殺された皇后が竜となり百川を蹴殺したとの説を載せるなど,《平家物語》《太平記》をはじめ怨霊の顕著な例として知られた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「井上内親王」の意味・わかりやすい解説

井上内親王
いのえないしんのう
(717―775)

光仁(こうにん)天皇の皇后。聖武(しょうむ)天皇皇女、母は県犬養広刀自(あがたいぬかいのひろとじ)。白壁王(しらかべおう)(光仁)の妃(きさき)となり、770年(宝亀1)王の即位により立后。772年天皇を厭魅(えんみ)(呪詛(じゅそ))した理由で廃后、累は実子の皇太子他戸(おさべ)親王にも及んだ。翌年天皇の姉難波(なにわ)内親王が没したのは井上内親王の厭魅によるものとされ、他戸親王とともに大和(やまと)宇智(うち)郡に幽閉、宝亀(ほうき)6年4月27日母子同時に没した。毒殺説が有力である。

[中川 収]

『角田文衛著『律令国家の展開』(1965・塙書房)』『林陸朗著『上代政治社会の研究』(1969・吉川弘文館)』

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朝日日本歴史人物事典 「井上内親王」の解説

井上内親王

没年:宝亀6.4.27(775.5.30)
生年:養老1(717)
奈良時代の廃后。聖武天皇と夫人県犬養広刀自の皇女。光仁天皇の皇后。「いかみ」とも。養老5(721)年,伊勢の斎王に卜定。のち,白壁王(光仁)の妃となり,宝亀1(770)年に王の即位とともに立后するが,同3年には一転して巫蠱・厭魅という呪いによる大逆の罪で廃后。子の他戸親王も廃太子。幽閉ののち,同6年,ふたり同日に没。背後に山部親王(桓武天皇)のための藤原百川の働きがあったことが『公卿補任』百川伝にうかがえ,毒殺らしい。『水鏡』には虚実とりまぜて事件の詳細を記す。弟安積親王の死(毒殺か),妹不破内親王の悲惨な浮沈など,皇位を巡る激しい政争を巧みによけて生き抜いたかにみえたが,最後に天武系から天智系への皇統の転換を担う栄光の座につき,まさにその故にこの悲劇にみまわれた。怨霊への恐れからであろう,死後復位,吉野皇太后と称される。<参考文献>角田文衛「宝亀三年の廃后廃太子事件」(『角田文衛著作集』3巻)

(義江明子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井上内親王」の解説

井上内親王 いのうえないしんのう

717-775 奈良時代,光仁(こうにん)天皇の皇后。
養老元年生まれ。聖武(しょうむ)天皇の皇女。母は県犬養広刀自(あがたのいぬかいの-ひろとじ)。白壁王の妃となり,宝亀(ほうき)元年王の即位により立后。3年天皇をのろった罪で廃后,子の他戸(おさべ)親王も廃太子となる。4年難波内親王をのろい殺したとされ,他戸親王とともに幽閉され,6年4月27日母子同時に死去。59歳。藤原百川(ももかわ)らに毒殺されたとみられる。没後25年に復位,吉野皇太后とよばれた。名は「いのえ」「いかみ」ともよむ。

井上内親王 いのえないしんのう

いのうえないしんのう

井上内親王 いかみないしんのう

いのうえないしんのう

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の井上内親王の言及

【井上内親王】より

…光仁天皇の皇后。井上は〈いのうえ〉〈いのえ〉と称する説もある。父は聖武天皇,母は夫人県犬養広刀自。不破内親王,安積親王の同母姉。721年(養老5)5歳で斎内親王に卜定され,11歳から20年近く伊勢大神宮に侍した。のち白壁王(光仁天皇)の妃となり酒人内親王を生み,即位と同時に皇后となる。しかし772年(宝亀3)長年にわたり天皇を呪詛したとして,巫蠱(ふこ)・厭魅(えんみ)大逆の罪で廃后され,これが息子の他戸(おさべ)親王(実子でないという説もある)の廃太子・皇籍剝奪事件に発展し,翌年天皇の同母姉難波内親王の死が彼女の厭魅によるとして,母子ともに大和国宇智郡に幽閉され,1年半後に日を同じくして没した。…

【他戸親王】より

…光仁天皇の皇子。母は皇后で聖武天皇の皇女井上(いかみ)内親王。生年は761年(天平宝字5)と751年(天平勝宝3)の2説がある。…

※「井上内親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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