横内城(読み)よこうちじょう

日本の城がわかる事典 「横内城」の解説

よこうちじょう【横内城】

青森県青森市内にあった戦国時代の平城(ひらじろ)。1498年(明応7)に田子弾正左衛門光康が築城した。この光康が初代の堤弾正で、青森平野湿原を開削し改良して、今日の青森市の発展の基礎をつくったといわれている。光康は当初、同市松原町付近に居館を構えていたが、外ヶ浜の鎮定のため横内城を築き、ここを本拠とした。城の東には横内川が流れていたが、この川は毎年氾濫を繰り返す暴れ川で農民たちを悩ませていた。これを見かねた光康は治水に力を注ぎ、湿地帯だった平野部を改良して青森平野を豊穣な土地に変えたといわれる。青森では堤弾正の名前は今日でも広く知られ、ねぶたでは、荒れ狂う川と闘う光康がモチーフになることも多い。現在、城跡は常福院という寺院になっており、境内には曲輪(くるわ)、空堀の跡が残っている。JR・青い森鉄道線青森駅から青森市営バスで浄水場入口下車後、徒歩約5分。◇鏡城、堤城とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報