横内忠作(読み)ヨコウチ チュウサク

20世紀日本人名事典 「横内忠作」の解説

横内 忠作
ヨコウチ チュウサク

明治〜昭和期の実業家 青森商工会議所会頭。



生年
明治10(1877)年10月1日

没年
昭和21(1946)年6月5日

出生地
青森県野内村(現・青森市)

学歴〔年〕
和仏法律学校卒

経歴
和仏法律学校に学んだのち浅野物産に入社し、石油麦粉・石鹼の取引について学ぶ。間もなく独立し、明治38年郷里青森県野内村にライジングサン石油会社タンク誘致。その特約代理店としてタンク会社を営み、青森・秋田両県の石油販売権を得て大きな利益を博した。また、青森製蠟所や青森トヨタ自動車などの設立にも参画。昭和6年青森商工会議所会頭に就任し、第五十九銀行の120万円消費事件で打撃を受けた県経済界の建て直しに奔走した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「横内忠作」の解説

横内忠作 よこうち-ちゅうさく

1877-1946 明治-昭和時代前期の実業家。
明治10年10月1日生まれ。39年郷里の青森県野内村(青森市)にライジングサン石油の特約代理店としてタンク商会を設立する。のち青森製蝋所,青森トヨタ自動車などを創立。昭和6年青森商工会議所会頭。昭和21年6月5日死去。70歳。和仏法律学校(現法大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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