横川堰
よこかわせき
宮城県を流れる白石川支流の横川を一枚石沢とナンバ沢から分水し、県境の分水嶺をトンネルで通水、山形県側の萱平川に導入する用水堰。灌漑用水に苦しむ上山藩領南部の上生居村助左衛門は、文政四年(一八二一)横川からの分水を計画、関村(現宮城県刈田郡七ヶ宿町)の協力を求め、追見新田(現同上)渡部富衛とともに角田役所(現宮城県角田市)へ申請、同年四月一五日着工、工事差止めを受けたが九月に完成、延べ人数二千七一六人半、白米二七石三斗余、費用の四二九両は助左衛門が全財産を投じた(奈良崎文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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