宮城県南部、角田盆地の北半を占める市。1958年(昭和33)市制施行。阿武隈(あぶくま)急行と国道113号、349号が通じる。すでに大化改新(645)以前、伊具(いぐ)の国造(くにのみやつこ)が官府を佐久良(角田市佐倉)に置いたといわれる。1598年(慶長3)伊達(だて)一門の石川昭光が角田の館主に封ぜられ、町づくりが本格化した。石川氏は阿武隈川の治水、利水に尽力し、角田本郷は阿武隈川の水運の中継地として繁栄、文化(ぶんか)年間(1804~1818)には繭、生糸の集散市場が設けられた。明治維新後、一時期角田県として県庁が置かれたが、東北線の敷設に際しては養蚕に害ありとして反対し、白石経由とさせ、鉄道交通の点で大きく立ち後れた。しかし、市制施行後は阿武隈川の架橋が相次ぎ、1968年には国鉄丸森線(現、阿武隈急行)が一部開通。主産業は農業で、肥沃(ひよく)な沖積土に恵まれ、稲作を中心に野菜、畜産、果樹、ハウスイチゴなど複合経営が進む。特産品にシイタケ、梅干しがある。工業の導入にも積極的で大型工場が進出し、海軍火薬廠(しょう)跡地には宇宙航空研究開発機構の角田宇宙センターがある。国史跡として縄文時代の梁瀬浦遺跡(やなせうらいせき)、国の重要文化財として高蔵寺(こうぞうじ)阿弥陀(あみだ)堂(1177年建立)と阿弥陀如来像、江戸中期の農家旧佐藤家住宅がある。福応寺毘沙門堂奉納養蚕信仰絵馬は国指定重要有形民俗文化財。斗蔵山(とくらやま)一帯のウラジロガシの原生林は北限地として学術参考保護林となっている。面積147.53平方キロメートル、人口2万7976(2020)。
[境田清隆]
『『角田市史』全2巻(1984、1985・角田市)』
宮城県南部の市。1958年市制。人口3万1336(2010)。阿武隈川が南から北に貫流する角田盆地の大半を占め,主要集落角田は阿武隈川西岸に位置する。伊達成実によって天正年間(1573-92)に城が築かれ,1598年(慶長3)以降伊達氏一門の石川氏が入封した。近世には阿武隈川舟運の中継地として栄え,米,繭の一大集散地であり,その面影は今も商家の土蔵造に残る。近世後期には西側山麓の後背湿地が干拓された。明治に入り舟運がとだえ,東北本線からもはずれると,商勢も急速に衰え,純農村に変貌した。盆地底では稲作が行われ,ナシなどの果樹,野菜,タバコの栽培や酪農・畜産も盛んである。近年,電子機器部品,自動車部品,メリヤスなどの工場の進出がみられ,航空宇宙技術研究所の支所(現,独立行政法人の宇宙航空研究開発機構角田宇宙センター)もある。阿武隈急行,国道349号線が通じる。縄文時代の梁瀬浦遺跡(史),弥生時代の鱸沼(すずきぬま)遺跡などがあり,また高蔵寺には重要文化財の阿弥陀堂・阿弥陀如来がある。
執筆者:長谷川 典夫
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