朝日日本歴史人物事典 「橋本経亮」の解説
橋本経亮
生年:宝暦5.2.3(1755.3.15)
江戸後期の国学者,有職故実家。生没年,異説あり。本姓は橘。通称,肥後守。号は橘窓,香果堂。父は梅宮(京都市右京区の梅宮大社)の神官,橘昆経。家職を継ぎ正禰宜となり,宮中に出仕して非蔵人を兼務した。有職の学は高橋図南に学び,図南の著書の多くを校正した。また和歌を小沢蘆庵に学び,上田秋成,伴蒿蹊らとも親しかった。豪放不羈,奇行をもって知られ,自宅から宮中に至る途上も読書しながら往来,田畑に落ちて衣服を汚しても気にかけなかったという。考証を得意としたが,特に古絵図を拠り所とするところにその特色があった。著書に『橘窓自語』『梅窓筆記』などがある。<参考文献>羽倉敬尚「故実家橋本経亮」(『国学院雑誌』63巻12号)
(白石良夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報