日本歴史地名大系 「橘木城跡」の解説 橘木城跡たちばなきじようあと 鹿児島県:国分市重久村橘木城跡[現在地名]国分市重久重久(しげひさ)の南部、春山(はるやま)台地の尾根先にある山城。曾於郡(そのこおり)城・剣宇都(けんのうと)城などともいう。建武四年(一三三七)肝付兼重・野辺盛忠らが率いる南朝勢は大隅国に侵入し、郡田(こおりだ)・清水(きよみず)寺・鼻連(はなづら)山に向城を築いた。同年一一月二九日南朝方は北朝方が守る当城を攻め、北朝方の重久篤兼は吉水(きつすい)で迎え撃っている。翌五年三月一八日、南朝勢が北朝方の簗瀬左衛門太郎の居宅を焼払ったため、北朝勢は「橘木・姫木・荒瀬」諸城の兵が応戦、南朝勢は鼻連山に退いた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by