橘木城跡(読み)たちばなきじようあと

日本歴史地名大系 「橘木城跡」の解説

橘木城跡
たちばなきじようあと

[現在地名]国分市重久

重久しげひさの南部、春山はるやま台地の尾根先にある山城曾於郡そのこおり城・剣宇都けんのうと城などともいう。建武四年(一三三七)肝付兼重・野辺盛忠らが率いる南朝勢は大隅国に侵入し、郡田こおりだ清水きよみず寺・鼻連はなづら山に向城を築いた。同年一一月二九日南朝方は北朝方が守る当城を攻め、北朝方の重久篤兼は吉水きつすいで迎え撃っている。翌五年三月一八日、南朝勢が北朝方の簗瀬左衛門太郎の居宅を焼払ったため、北朝勢は「橘木・姫木・荒瀬」諸城の兵が応戦、南朝勢は鼻連山に退いた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

半夏ともいう。七十二候の一つで,本来は夏至後 10日目から小暑の前日までをいったが,現行暦では太陽の黄経が 100°に達する日 (7月1日か2日) を半夏生とし,雑節の一つとして記載している。この頃半...

半夏生の用語解説を読む