日本歴史地名大系 「重久村」の解説 重久村しげひさむら 鹿児島県:国分市重久村[現在地名]国分市重久・剣之宇都町(けんのうとちよう)・郡田(こおりだ)、姶良(あいら)郡隼人(はやと)町松永(まつなが)、姶良郡霧島(きりしま)町永水(ながみず)姫城(ひめぎ)村の北東、手籠(てご)川の流域に位置する。近世には曾於郡(そのこおり)郷に属し、同郷の麓が形成されていた。村の北部、手籠川と霧島川に挟まれたシラス台地は春山(はるやま)原(春山台地とも)とよばれ、古くから牧(春山野牧)が置かれていた。地内には古く囎唹(そお)郡の総鎮守で、同郡に勢力のあった税所氏の氏神とされる止上(とがみ)神社や中世の橘木(たちばなき)城(曾於郡城)がある。税所氏一族の所領である中世の重久名の遺称地で、地内には同じく税所氏一族の所領であった重枝(しげえだ)名・重留(しげどめ)名・重武(しげたけ)名・重富(しげとみ)名などに含まれた地があり、花牟礼(はなむれ)などの地内の地名も史料に散見する。文治三年(一一八七)二月二五日、台明(だいみよう)寺僧覚源は常円房(坊)から伝領した「噌於郡内取条壱里」の字花牟礼の田四反一八〇歩を宮主応蓮房(寿覚)に売渡している(「僧覚源田地売券」台明寺文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by