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相良氏 さがらうじ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

相良氏
さがらうじ

藤原南家の出。天永3 (1112) 年,周頼が遠江国榛原郡相良荘に住みついたのが始り。鎌倉幕府の成立で6代目長頼が肥後国球磨郡人吉荘の地頭職に補任されて以来,肥後国南半に勢力を伸ばし,戦国大名となる。

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百科事典マイペディアの解説

相良氏【さがらうじ】

遠江(とおとうみ)出身の中・近世武家。鎌倉初期,肥後(ひご)人吉(ひとよし)荘地頭に補せられて下向。室町時代には肥後半国を領有して戦国大名化。その後島津氏に下り,江戸時代には人吉藩主。

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世界大百科事典 第2版の解説

さがらうじ【相良氏】

遠江出身の中・近世武家。鎌倉時代,肥後国人吉荘等の地頭となる。近世には人吉藩主。藤原南家乙麻呂流で,伊豆の豪族伊東氏や工藤氏と同族。平安後期周頼が遠江国佐野郡相良荘(現,静岡県榛原郡相良町)に住し,以来相良氏を称するにいたったという。周頼4代の孫頼景およびその子長頼は関東御家人となり源頼朝に仕えた。頼景は1193年(建久4)肥後国球磨郡多良木荘の地頭として下向したと伝えられる。一方長頼(蓮仏)は98年,平頼盛の代官矢瀬主馬助を退けて,球磨郡人吉荘に入ったというが,いずれも確証はない。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

相良氏
さがらうじ

中世~近世の武家。遠江国(とおとうみのくに)御家人(ごけにん)、肥後国(ひごのくに)人吉荘(ひとよしのしょう)(熊本県人吉市)地頭(じとう)、近世人吉藩主。藤原氏南家(なんけ)乙麻呂流(おとまろりゅう)平安後期周頼(かねより)が遠江国相良荘(静岡県牧之原(まきのはら)市)に住み相良氏を称したという。4代の孫頼景(よりかげ)と子の長頼(ながより)は、源頼朝(みなもとのよりとも)に仕え御家人となった。頼景は鎌倉初期、肥後国球磨(くま)郡良木(たらぎ)(熊本県球磨郡多良木町)に下向したといわれる。長頼は1205年(元久2)畠山重忠(はたけやましげただ)討伐戦の功により同郡人吉荘の地頭となり、その子孫は同郡に土着した。多良木系を上相良(かみさがら)、人吉系を下相良(しもさがら)という。1448年(文安5)庶流の永富(永留)長続(ながとみながつぐ)が球磨郡を統一し隣接する葦北(あしきた)郡も制圧、その子為続(ためつぐ)は1484年(文明16)八代(やつしろ)の名和顕忠(なわあきただ)を逐(お)い八代に進出、以来戦国大名化し、晴広(はるひろ)・義陽(よしひ)の時代は海外貿易でも活躍し最盛期となった。
 この間、為続、長毎(ながつね)、晴広の各代につくられた相良氏法度(はっと)は、初期分国法として著名である。1581年(天正9)義陽は島津義久(よしひさ)に下り、その先鋒(せんぽう)として阿蘇(あそ)氏と戦って討ち死に、まもなく島津氏も豊臣秀吉(とよとみひでよし)に下り、相良長毎は旧領の球磨郡2万2000石に封ぜられ、以来相承して明治維新に至った。[工藤敬一]

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世界大百科事典内の相良氏の言及

【肥後国】より

…そのため鎌倉幕府が成立すると,幕府=東国勢力の圧迫を受け,菊池氏は本領以外の大部分を奪われ,大友一族の詫磨氏などの入部を見ることになる。また広大な阿蘇本末社領については北条氏が預所兼地頭となり,球磨には遠江から相良(さがら)氏が,ややおくれて野原荘(荒尾市)には武蔵国御家人小代(しようだい)氏が地頭として入部した。 幕府を背景とする東国勢力の進出は,在地勢力との間に強い緊張関係をもたらすと同時に,新しい文化を生み出していった。…

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