20世紀日本人名事典 「櫛引弓人」の解説 櫛引 弓人クシビキ ユミンド 明治・大正期の興行師 生年安政6年(1859年) 没年大正13(1924)年7月26日 出生地陸奥国五戸(青森県五戸町) 学歴〔年〕慶応義塾 経歴明治18年26歳で渡米。26年シカゴ万博で興行師のスタートを切り、日本茶園を開き、日本娘による茶のサービスで評判を集めた。29年アトランタに日本庭園と球戯場を開設。その後、セントルイス万博、シアトル万博など数々の万博を手がけ、43年ロンドン日英大博覧会では日本村支配人として活躍、“博覧キング”の異名をとる。大正4年日本で初めて飛行機を輸入し、チャールズ・ナイルズ、アート・スミス、カザリン・スチンソンなどの飛行士を招いて妙技を紹介した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「櫛引弓人」の解説 櫛引弓人 くしびき-ゆみんど ?-1924 明治-大正時代の興行師。慶応義塾にまなぶ。明治29年武藤山治(さんじ)らと渡米。帰国後日本にはじめて飛行機を輸入し,ナイルス,スミスらの飛行家をまねいて妙技を紹介。大正4年サンフランシスコのパナマ・太平洋博覧会では,日本の興行一切をひきうけた。大正13年7月26日死去。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by