人が乗って空中を航行する乗り物、すなわち航空機aircraftの一種。ジェットあるいはプロペラの推力によって前進し、その際、翼に生ずる揚力で自分の重量を支えて飛ぶものの総称である。英語でaeroplane、アメリカ英語でairplane、フランス語でavion、ドイツ語でFlugzeugという。
翼に揚力を発生させるためには、飛行機が空気中をある速さで前進する必要がある。前進すると、その速さと大きさが等しく方向が反対の、つまり後ろ向きの風が翼に当たり、翼に揚力を発生する。この点はグライダーも同様である。飛行機やグライダーで、翼が重量(重力)を支えるだけの揚力を発生するには、ある限界(この限界を最小速度という)以上の速さで前進することが必要であり、それ以下の速さでは飛ぶことができない。もちろんヘリコプターのような空中停止はできない。ヘリコプターの回転翼も、翼に揚力を生ずる原理は飛行機やグライダーの固定翼と同じであるが、回転翼は、ヘリコプター自身が空中でどんな速度で飛んでいても、回転によって翼に風が当たるので揚力を発生することができ、機の重量を支えることができる。
同じ航空機でも、気球、飛行船など、空気より軽いガスを入れた袋の浮力で重量を支えるもの(軽航空機)は、この浮力が主としてアルキメデスの原理による静的浮力であるところから、前進速度を必要としない。つまり、どんなに遅い速度でも飛ぶことができ、最小速度が存在しない。
このように飛行機は、ヘリコプター、飛行船、気球などと違い、最小速度以下の遅い速さでは飛べないこと、離着陸に地上滑走を必要とすることの二つの欠点をもっている。その反面、揚力のわりに空気抵抗がきわめて小さいのでスピードを出しやすく、また揚力が速度の2乗に比例するため、高速機では小さい翼面積で大きな重量(重力)を支えることができる。このような長所が欠点を補い、現在では飛行機が航空機の主流を占めている。
1995年末現在、世界中(旧ソ連諸国・中国を除く)の登録されている民間航空機の数は、飛行機約36万8800機、ヘリコプター約2万3400機、飛行船はごく少数、ほかにスポーツ用のグライダーや気球もある。
[木村秀政]
推進の方法、エンジンの数、着陸装置の形態、主翼の形式などの諸観点から分類ができる。
飛行機は推進装置によって、プロペラ機とジェット機とに分類される。
〔1〕プロペラ機(プロペラ推進) プロペラ機は、シリンダーの中をピストンが往復してクランク軸を回すピストンエンジンでプロペラを駆動するピストン機と、ガスタービンでプロペラを駆動するターボプロップ機に分類される。ターボプロップ機のガスタービンは、ジェットエンジンのガスタービンとほぼ同じ原理、構造のものである。
ターボプロップは、ピストンエンジンに比べてエンジンの馬力当りの重量が半分以下であり、外形も小さく、構造が簡単で振動が少ないという数々の利点をもっている。このため、1903年以来ただ一つの飛行機用エンジンとして使われてきたピストンエンジンも、1953年にイギリスのビッカース・バイカウント輸送機が世界最初のターボプロップ機として就航して以来しだいに姿を消し、今日では500馬力以下のごく小馬力のものを除いて、ターボプロップ機がプロペラ機の主流になってきた。日本で第二次世界大戦後初めて開発されたYS-11輸送機もターボプロップ機である。
〔2〕ジェット機(噴流推進) 今日のジェット機に主として使われているターボジェットは、ピストンエンジンなどに比べて構造がきわめて簡単で、一つの筒の中に、前から順に圧縮機、燃焼器、タービンが配列されている。圧縮機で圧縮した空気を燃焼器に導き、これに燃料を噴射して燃焼させ、高圧・高温のガスを勢いよく後方に噴射して前向きの推力を得る。この際噴出するガスのエネルギーの一部でタービンを駆動し、このタービンで圧縮機を駆動する(ターボプロップの場合、プロペラもタービンで駆動される)。
現在ではターボジェットの圧縮機の前方にさらにファンを取り付け、ファンで圧縮した空気を一部はそのまま後方に噴出、残りはエンジン内に送ってさらに圧縮、燃焼させて後方に噴出し、両方の作用で推力を生ずるターボファンが輸送機などで広く使われるようになった。ターボファンでエンジン内に送り圧縮、燃焼させる空気量に対し、直接後方に噴出させる空気量の比をバイパス比という。1960~1961年ごろから実用になった初期のターボファンはバイパス比1.0~1.5であったが、ボーイング747などについている第2世代のターボファンは、5.0~6.0の高バイパス比をもつようになった。高バイパス比を与えることによって、燃料消費率と騒音が著しく低下する利点がある。
[木村秀政]
推進装置の数が一つのものを単発、以下二つのものを双発、三つのものを三発、四つのものを四発という。飛行中にエンジンの一つが停止したような場合には、一般に多発機のほうが安全度が高い。したがって、洋上の長距離飛行には双発以上の多発機がより安全である。
[木村秀政]
飛行機は陸上から発着できるものと、水上(または氷上)から発着できるものとがあり、前者を陸上機、後者を水上機といい、陸上からも水上からも発着できるものを水陸両用機という。降着装置は、陸上機の場合は主として車輪、水上機の場合は主としてフロートが使われる。飛行中における車輪の空気抵抗はきわめて大きいので、低速度の小型機を除き、飛行中は翼や胴体の内部に引き込んでしまうものが多い。これを引込み脚(きゃく)といい、性能の大幅な改善が期待できる。
大型になるほど車輪1個の負担する地面荷重が大きくなるので、車輪の数を多くする。世界最大級の陸上機ボーイング747(総重量約400トン)は主脚が左右各2本ずつあり、各脚にそれぞれ4個の主車輪をもつボギー式の脚組みを備えるので、合計16個の車輪で機の総重量を支持していることになる。このほかに胴体前端に2個の前輪がついている。
[木村秀政]
以前は主翼の形式によって、飛行機を単葉機と複葉機に大別していた。しかし、飛行機の構造技術の目覚ましい進歩により、単葉が複葉に比べて構造的に不利で重量が大きくなるなどの問題点が克服されたので、今日では、特別のものを除いて、空気抵抗が小さく性能上絶対有利な単葉が大勢を占めている。また胴体が主翼の上にのった形の低翼単葉が、高翼単葉に比べて構造上からも性能上からも有利な点が多いので、主翼形式の主流になっている。
普通の単葉機では主翼が進行方向に対して前方に、水平・垂直尾翼が後方に取り付けられているが、逆に水平尾翼に相当するものを主翼より前方につけた形式のものもある。これをカナール型(フランス語でカモの意)またはエンテ型(ドイツ語でカモの意)という。このような配置にすると、機の安定性、操縦性に特殊な性格を与えることができ、機体自重を軽くできるほか、機の前方視界が改善されるなどの利点がある。
[木村秀政]
大昔から、人間が鳥のように翼をつけて大空を自由に飛びたいという願いをもっていたことは、ギリシア神話のダイダロス、イカロス父子の物語などにもよく表れている。そして長い間に、多数の人が飛行機の試作を行ったが、ようやく20世紀になってアメリカのライト兄弟が成功するまで、すべて失敗に終わった。しかし、18世紀末、フランスのモンゴルフィエ兄弟のつくった熱空気入り気球で、ともかく人間は空を飛ぶことには成功した。
長い間、飛行機がなかなか成功しなかったのには、二つの理由がある。一つは、鳥の飛び方をそのまままねて、羽ばたきで飛ぶのにこだわったこと、もう一つは、19世紀末まで、軽くて馬力の強いガソリン機関が実用にならなかったことである。羽ばたき飛行の原理を調べてみると、今日の技術でもたいへんむずかしいことがわかる。つまり鳥は羽ばたきによって、揚力を得ると同時に推進力も得ているので、機構も運動も非常に複雑になるのである。揚力を得るには羽ばたきしない固定翼を用い、推力を得るには別にプロペラを用いたほうがはるかに有利であるということがやっとわかったのは19世紀末である。これをグライダーによって実証したのがドイツのリリエンタールであった。
リリエンタールは、1891年、固定翼のグライダーをつくり、それに乗って小高い丘から滑空をすることに成功した。彼はこの実験を繰り返し、翼の空気力学的特性やグライダーのつり合い、安定、操縦などの諸問題に貴重な知識を得たが、1896年、翼の失速が原因で墜落死した。しかしその業績は、その後の飛行機の発展の基礎となり、同時に世界各国の研究家に大きな刺激を与えた。
[木村秀政]
リリエンタールに続いて各国でグライダーによる研究が盛んに行われるようになったが、なかでもライト兄弟は1900年から1902年にかけて、グライダーによる飛行実験を徹底的に行い、あわせて自分でくふうした風胴による各種の実験を行って、飛行機の飛行特性に関して先人のなしえなかった領域まで開拓した。この豊富な知識に基づいて設計製作した機体に、自作の12馬力ガソリンエンジンをつけ、1903年12月17日、アメリカのノース・カロライナ州キティホークの海岸で、ついに人類待望の動力飛行に成功した。この日、強風をついて4回の飛行が行われ、第1回の記録は12秒、36メートルであったが、最後には59秒、260メートルに達した。ライト機の最大の特徴は、撓(たわ)み翼(今日の補助翼にかわるもの)、昇降舵(だ)、方向舵の3舵によって自由に操縦ができることで、先人のグライダーが人間の体重を移動したりして操縦していたのに比べ、長足の進歩であった。
[木村秀政]
アメリカより一歩出遅れたヨーロッパでは、1906年、パリのバガテルで、ブラジル人サントス・ドゥモンがヨーロッパ最初の飛行に成功した。このときの記録は21秒、220メートルで、これが世界最初の公認記録となった。続いてフランスを中心にイギリス、ドイツ、その他の諸国で次々に新しい飛行機が試作されるとともに、その記録も目覚ましく向上し、第一次世界大戦の起こった1914年の時点で、世界記録は時速204キロメートル、航続距離1021キロメートル、高度6120メートルに達した。この間、1909年には、フランスのブレリオが自作のブレリオⅪ型単葉機で初めてドーバー海峡を横断し、航空史上に金字塔を打ちたてた(距離38キロメートル、時間32分)。1910年代の初めには、航空活動の中心地はアメリカからフランスに移っていた。
[木村秀政]
日本は欧米諸国に著しく立ち後れ、独力で飛行機の研究を進める研究家も何人かいたが、どれも成功せず、1910年(明治43)12月19日になって初めて、陸軍の徳川好敏(よしとし)と日野熊蔵(くまぞう)が、それぞれフランスおよびドイツから輸入した飛行機で飛行に成功した。国産機で最初に成功したのは奈良原三次(さんじ)(1877―1944)の奈良原式2号機で、1911年5月5日に初めて70メートルの距離を飛んだ。
[木村秀政]
1914年に第一次世界大戦が始まると、飛行機は早速戦場に駆り出され、最初は偵察、爆撃などの目的に使われたが、のちには敵機を撃墜するための戦闘機も現れた。大戦前の飛行機はただ飛ぶことが目的であったが、各種の異なった用途に使われるようになると、それぞれの目的に適した設計が要求され、専門の機種が必要になってきた。ここに初めて、偵察機、爆撃機、戦闘機など用途別の機種が誕生した。大戦は1918年まで続いたが、4年間にわたる大戦の厳しい試練によって飛行機はたくましく成長した。大戦直後の1920年末における世界記録、時速313キロメートル、航続距離1915キロメートル、高度1万0093メートルを前記の6年前の記録と比較してみると、この間の目覚ましい進歩がうかがわれる。
第一次世界大戦が終結すると、各国の航空開発への意欲は二つの方向に集中された。一つは定期航空輸送の開設、もう一つは未開拓空路への冒険的な挑戦である。飛行機によって、旅客、貨物、郵便物などを定期的に運送する定期航空は、すでに大戦の末期から各国でぼつぼつ行われていたが、1919年ごろから本格的なものとなり、1919年には乗客12人乗り、双発のファルマンF60ゴリアットのような本格的輸送機が早くも就航した。未開拓空路への挑戦も、大西洋、太平洋、北極などを舞台に華やかに繰り広げられた。なかでもアメリカのリンドバーグが1927年5月20~21日、スピリット・オブ・セントルイス号を操縦し、ニューヨーク―パリ間5809キロメートルを33時間39分で無着陸横断した飛行は、航空史上もっとも華やかな記録とされている。しかし、当時は飛行機の進路を定めてゆくのに、今日のように電波を利用する航法技術が実用されておらず、飛行機の航続性能も目的に対してぎりぎりいっぱいであり、エンジンや機体の信頼性も今日に比べてはるかに低かった。そのために、華やかな英雄を生む反面、多くの悲壮な犠牲者を出した。
一方、日本の航空技術は、スタートで欧米諸国より数年立ち後れ、初めはもっぱら先進諸国の技術を導入、消化する方法でその発展を図ってきた。第一次世界大戦に日本は連合国側として参戦はしたものの、ヨーロッパの主戦場からはるかに離れていたためもあって、欧米諸国との格差は広がる一方であった。昭和初期になって国が航空技術の発展に力を入れ始め、多年外国から吸収、蓄積してきた技術がようやく開花し、1935年(昭和10)ごろから、欧米の水準と比べて見劣りのしない純国産機が次々に出現するようになった。1937年、飯沼正明(1912―1941)および塚越賢爾(つかごしけんじ)(1900―1943)が、東京―ロンドン間1万5357キロメートルを途中着陸時間を含めて94時間18分で翔破(しょうは)し国際記録を樹立した神風(かみかぜ)号、1938年藤田雄蔵(1898―1939)らによって1万1651キロメートルの周回航続世界記録を樹立した航研機などが、代表的な例といえる。
[木村秀政]
1930年から1935年にかけて、離着陸距離を短くするのに有効な主翼のフラップ、飛行中に着陸装置を翼や胴体の中に引っ込めて空気抵抗を小さくする引込み脚、飛行中ピッチを変えていろいろな飛行状態に適応できるようにした可変ピッチプロペラ、エンジンの高空における出力の低下を減らすスーパーチャージャー、アルミニウム合金の薄板を使った軽くてじょうぶな応力外皮構造など、飛行機の性能や信頼性を向上するのにきわめて有効な各種の新しい装置や構造が一斉に実用化され、これらを組み合わせた近代的な低翼単葉形式が完成し、以後これが飛行機の標準的な形式となった。このような近代的な形式を取り入れた輸送機として代表的なものは、1935年に初飛行したアメリカのダグラスDC-3型である。1200馬力エンジン2基の双発で、乗員2人、乗客21人を乗せ、巡航速度毎時272キロメートルの性能をもっていた。DC-3型の特徴は、優れた性能もさることながら、その実用性、耐久性は無類で、第二次世界大戦中を通じて1万1000機も生産され、初飛行以来60年以上もたった今日、なお世界各地で飛んでいる。
[木村秀政]
1939年から1945年に至る第二次世界大戦は、航空兵力の優劣で勝敗が決したといわれるほどで、飛行機は各種の用途で大活躍した。とくに第一次世界大戦と比較してみると、戦闘、偵察、攻撃、爆撃などの直接の戦闘目的以外に、人員や軍需物資の輸送、補給に大量に使われた点が注目された。
大戦の後期、各国の戦闘機のなかには最高時速700キロメートルを超えるものが現れた。飛行機がこのような高速で飛び、そのプロペラが毎分千数百回転で回ると、プロペラの翼(よく)の空気を切る速さが、翼の先端では音速付近に到達する。すると、空気の圧縮性の影響が現れてプロペラ翼の空気抵抗が著しく大きくなり、プロペラ効率が低下する。高速機でこのような現象がおこることは前から予想されており、プロペラ機で時速800キロメートルを超すことはきわめて困難であろうとされていた。この問題を解決して、飛行機がさらに高速で飛ぶためには、ガスを後方に噴き出し、その反動で前向きの推力を得る噴流推進を用いるほかなく、そのような原理のエンジンとして、ジェットエンジンとロケットエンジンの研究が行われた。1939年、ドイツでジェットエンジンを装備したハインケルHe178が列国に先駆けて飛行に成功した。続いてイタリア、イギリスでもジェット機の開発に成功した。大戦末期の1944年、ドイツのメッサーシュミットMe262、イギリスのグロスター・ミーティアなどのジェット戦闘機が初めて戦線に姿を現し、ジェット機の実用時代が始まった。
[木村秀政]
1945年に第二次世界大戦が終わると、本格的なジェット化が始まった。ジェット機は、プロペラ機に比べてはるかに高速を出せるのが特徴なので、まずスピードに重点を置く戦闘機がジェット化され、続いて爆撃機、ついでその他の軍用機に及んだ。初期のジェットエンジンは燃料消費率が大きく、ジェット機は航続性能に難があったが、この分野で目覚ましい改良がなされるにつれて、民間輸送機にもついにジェット機が登場した。その先頭を切ったのは、1949年に初飛行し、1952年から定期航空に就航したイギリスのデ・ハビランド・コメットである。しかし、コメット機は1954年、設計上の欠陥から2機が相次いで高高度飛行中に胴体爆発事故を起こし、就航停止の不運にみまわれた。このため、本格的なジェット輸送機時代は、1958年イギリスのコメット4型とアメリカのボーイング707型の就航をもって始まりとする。ジェット輸送機の就航により、その巡航速度や乗客数はプロペラ輸送機の2倍内外となった。
プロペラ機からジェット機への変化ほどはでではないが、各種の油圧機器、電子機器などの発達に伴う飛行機運用の機械化、自動化も著しく進み、飛行機の性能や信頼性の進歩に大きく貢献した。たとえば、ジェット機は高空を飛んだほうがエンジンの効率がよいので、高空における低温、低圧、酸素不足から乗員・乗客を守るため、客室内の空気を与圧して循環させる、いわゆる与圧客室が一般化した。与圧客室は1935年ごろから研究が始められ、第二次世界大戦中はB-29のような高空を飛ぶ長距離爆撃機で実用化され、戦後に開発されたプロペラ輸送機にはこれを用いるものが多くなったが、ジェット輸送機に至って必要欠くことのできないものとなった。またジェット輸送機の性能および信頼性の向上に伴い、各種の電子装置を利用した航法装置の登場は、交通機関としての飛行機を、地上、海上の他の交通機関と対等あるいはそれ以上の位置にまで高めるのに成功した。
1947年、アメリカのイェーガーCharles E. Yeager(1923―2020)の操縦するベルX-1ロケット機が世界で初めて音速を突破した。飛行機の速度が音速(地上で毎時約1225キロメートル、成層圏で毎時約1060キロメートル)に近づくと、衝撃波の影響で空気抵抗が著しく増大するので、その壁を乗り越えて超音速で飛行するには技術的に多くの難問題を解決しなければならない。しかしこの壁もエンジンや空気力学の発達でついに突破され、1953年ごろにはジェット戦闘機が超音速で飛ぶようになり、2007年現在まで世界最高速の実用機であるアメリカのロッキードSR-71Aは時速3529.56キロメートル(音速の約3.3倍、すなわちマッハ3.3)の記録(1976年にマーク)を出している。現代では、戦闘機はもちろん、偵察機、爆撃機などの軍用機も超音速が普通になった。
民間ジェット輸送機の速度は、1958年以来マッハ0.7~0.85が保たれているが、これはこのあたりの速度が輸送機としてもっとも経済的、実用的なためである。一方、英仏両国で共同開発したコンコルド、ソ連のTu-144は、ともにマッハ2.0以上を出せる超音速輸送機SST(supersonic transport)で、Tu-144は1977年にソ連の国内線に就航、コンコルドは1976年定期航空路に就航した。しかし、Tu-144は燃費効率が悪く、故障も多く発生したため、翌78年には運航休止となった。コンコルドは無事故で運航を続けたが、2000年7月パリで離陸直後に墜落、乗客ら113人が死亡する事故をおこした。その後も運航が続けられたが、経済性の悪さなどから、2003年に運航を終了した。以後、マッハ1を超えるジェット輸送機はつくられていない。
飛行機の高速化と並んで大型化も進められ、推力20トンを超える強力なジェットエンジンの出現で、1972年には500人以上の旅客あるいは100トン以上の貨物を積んで、太平洋を無着陸で横断できるジャンボ機も実用化されるようになった。
[木村秀政]
1945年(昭和20)8月、日本は第二次世界大戦に敗れて、航空輸送、航空スポーツ、航空機の生産、その他いっさいの航空活動を禁止されたが、1952年春、連合国との間の講和条約が発効し、日本の航空活動はすべて自由になった。しかし、初期の自衛隊の機材はアメリカからの貸与やライセンス生産が主で、国産機は少なかった。1951年10月、国内線の航空輸送が再開されたが、これに使う輸送機もほとんどがアメリカなどから輸入したもので、国産機はまったくなかった。1958年、戦後初めて国産輸送機を独力で開発することになり、開発の中心となった輸送機(Y)設計(S)研究協会のローマ字の頭文字をとってYS-11型と名づけられた。機体の設計製作は日本航空機製造によって行われ、1962年8月に初号機初飛行、1965年4月から国内線に就航した。イギリス製ロールス・ロイス2660馬力ターボプロップの双発機で、馬力のわりに乗客数は60~64人と多いこと、離着陸滑走距離が1200メートル以下と短いことなどから、経済的な短・中距離輸送機として好評で、180機が生産され、海外へも多数輸出された。
YS-11に次ぐプロジェクトとしては、アメリカのボーイング社などと共同(アメリカ70%、日本、イタリア各15%)した、第4世代ジェット機といわれるボーイング767双発ジェット輸送機(211~285席)への開発参加がある。同機は1982年以来、世界各地の定期航空路に就航している。また、最新式のターボファンエンジンの国際共同開発についても、日本は23%のシェアで(アメリカ30%、イギリス30%、旧西ドイツ11%、イタリア6%)、150席クラスの民間航空機用ターボファンV2500の開発に参加し、1988年に型式(かたしき)証明を取得した。同エンジンはヨーロッパのエアバスA320、アメリカのマクダネル・ダグラスMD-90などの輸送機に装備されて世界各国で使われている。機体では767に続き、より大型の双発ジェット輸送機ボーイング777(305~400席)の開発にも、日本が約21%のシェアで参加した。同機は1995年から、世界各地の路線に就航している。
一方、1977年以来、科学技術庁航空宇宙技術研究所(現宇宙航空研究開発機構)が、川崎重工業、石川島播磨(はりま)重工業(現IHI)などの国内民間企業の協力を得て開発を続けてきたファンジェットSTOL(エストール)機(短距離離着陸機)飛鳥(あすか)が、1985年に初飛行した。この機体は、強力な高揚力装置の威力により、総重量38.7トンの四発ジェット機であるにもかかわらず、離陸距離680メートル、着陸距離480メートルという優れたSTOL性能をもっている。飛鳥は、いますぐ実用される機体ではなく、将来いろいろな機種への応用が望まれる技術の研究機である。
[木村秀政]
飛行機の重量を空気中で支えるのは翼に働く揚力である。
〔1〕翼に働く揚力 翼は
のような断面をもち、飛行機が空気中をある速さで進むと、その速さに等しい風が前方から翼に当たる。この風(空気の流れ)は、湾曲度の大きい翼上面を通過するときは流速が増し、湾曲の小さい翼下面では流速が減る。ベルヌーイの定理によると、流速が増すと圧力が下がり、流速が減ると圧力が上がる。このため、翼上面の圧力は大気圧より小さく、つまり負圧になって翼を吸い上げ、下面の圧力は大気圧より大きく、つまり正圧になって翼を押し上げ、両方の作用がいっしょになって上向きの揚力となる。飛行機が一定の速さで水平に飛んでいるときには、翼の揚力が機の重量(機に働く重力)に等しくつり合っている。飛行機の重量を翼面積で割った値を翼面荷重というが、これは翼に発生する1平方メートル当りの揚力の値にほかならない。翼面荷重の値は軽飛行機では50~100キログラム毎平方メートル程度だが、ジェット輸送機では300~750キログラム毎平方メートル内外である。〔2〕揚力と迎え角との関係 翼に揚力を発生させるためには、飛行機はある速さで空気中を前進しなければならない。翼に働く揚力の大きさは速さの2乗に比例し、また翼の気流に対する迎え角が大きくなるほど、揚力もほぼそれに比例して大きくなる。ある翼がいろいろな迎え角で空気中を飛ぶ場合の速さと揚力との関係を
に示す。飛行機は揚力が重量に等しくなった状態で水平飛行するから、 の例では、560キロメートル毎時で飛ぶには翼の迎え角を3度に保ち、350キロメートル毎時で飛ぶには翼の迎え角を9度に保つ必要があることがわかる。一般的にいえば、速く飛ぶときには迎え角を小さくし、遅く飛ぶときには迎え角を大きくするわけで、このような迎え角の調整は、昇降舵(だ)または水平安定板の操作によって行われる。〔3〕失速 迎え角を大きくすると揚力はほぼそれに比例して大きくなるが、迎え角がある限度を超すと、翼上面の流れが表面からはがれて、その後方の気流が乱れる(
)。そして迎え角がある角度を超すと、それ以上迎え角を増しても揚力はかえって減少し、しかも気流の乱れが激しくなって、翼としての働きが悪くなる。この状態を失速という。迎え角を失速迎え角以上に大きくしても揚力は増さないので、失速迎え角に対する速さ(これを失速速度という)以下では、もはや機の重量を支えるだけの揚力を出すことができない。つまり、失速速度は機が飛びうる最小速度である。自動車にしろ、船にしろ、普通の乗り物はどんなに遅い速さでも走れるが、飛行機は最小速度以下では飛ぶことができない。一般に翼面荷重の大きい飛行機は最小速度が大きく、翼面荷重の小さい飛行機は最小速度も小さい。
〔4〕高揚力装置 翼の揚力を増す装置で、その代表的なものがフラップであり、今日の飛行機にはほとんど例外なく取り付けられている。
フラップを下げると翼断面の湾曲度が増し、大きな揚力を得られるので、低い速度で機の重量を支えることができる(
)。したがって、同じ翼面荷重でも最小速度を減らすことができる。逆に、最小速度を同じ値に抑えると、フラップを使うことにより、翼面荷重を大きくできる。フラップを下げたとき、翼後縁とフラップ前縁との間に隙間(すきま)が生ずるようにしたものをスロッテッドフラップといい、フラップ効果が一段と高くなる。フラップがいくつかに分かれ、二つあるいは三つの隙間ができるものもある。翼の後縁だけでなく、前縁にもフラップをつけ、前縁フラップと後縁フラップとを併用すると、揚力を増す効果はきわめて著しい。[木村秀政]
翼に揚力を発生させるため、ある速さで空気中を進めば、翼ばかりでなく、飛行機全体に空気抵抗(抗力ともいう)が働く。
〔1〕抗力と揚抗比 抗力の値は、揚力と同じく速度の2乗に比例する。揚力と抗力の比を揚抗比という。同じ迎え角を保って飛ぶ場合、揚力も抗力も速度の2乗に比例するから、揚抗比は迎え角さえ決まっていれば、速度と無関係に一定である。これに反し、飛行船では、揚力はガス袋の静浮力であるから速度に無関係に一定であり、抗力は速度の2乗に比例して増してゆく。したがって、飛行船の揚抗比は、速度が増すにつれてしだいに低下する。高速交通機関として飛行船が落後したのはこのためである。
〔2〕推力 飛行機が前進するには、抗力に打ち勝つため、プロペラやジェットなどの推力で飛行機を押し進めてやらなければならない。飛行機が水平定常飛行をしているときには、揚力が重力とつり合い、推力が抗力とつり合っている(
)。飛行機に働くすべての力がつり合っているから、ニュートンの運動法則により、その状態をいつまでも続けてゆくのである。速度が速くなると抗力が増すので、エンジンのスロットルレバー(絞り弁ともいい、自動車のアクセルに相当する)を開いて推力を増してやる必要がある。しかし、迎え角をそのままにしておくと、揚力が速度の2乗に比例して増してゆき、重力より大きくなってつり合いが保てなくなる。したがって、昇降舵または水平安定板を操作して迎え角を減らし、揚力を重力に等しくなるように加減しなければならない。自動車の場合、走行速度を加減するにはアクセルだけを操作すればよいが、飛行機の場合は、スロットルレバーと迎え角を加減するための操縦桿(かん)を同時に操作しなければならない。[木村秀政]
どんな飛行機もそれぞれ最小速度が決まっていて、その速度以下で飛ぶことはできない。したがって、離陸するときは、停止状態からエンジンのスロットルレバーを全開して滑走を開始し、しだいに加速して離陸に安全な速度に達したら、機首を引き起こして翼の迎え角を増し、地面を離れる。離陸に安全な速度は、普通、最小速度の1.15~1.2倍である。
翼面荷重の大きい飛行機は、一般に最小速度(離陸速度)が大きいので、それだけ長く滑走しなければならない。飛行機が滑走を始めた地点から、地面を離れ、高度15メートル(タービン輸送機では10.5メートル)まで達するのに必要な距離を離陸距離という(
)。着陸のときは、最小速度の1.3倍ぐらいの速度で進入してきて、機首を引き起こし、減速して接地に安全な着陸速度で接地する。この場合、着陸速度は当然、最小速度より大きいことが必要であり、普通は最小速度の1.1~1.2倍である。接地してから、車輪のブレーキ、翼のスポイラー、ジェットエンジンのスラストリバーサー(逆推力装置)などを使って減速するが、停止するまでにはある距離を滑走しなければならない。離陸の場合とは反対に、高度15メートルを通過してから、接地、地上滑走をして停止するまでの距離を着陸距離という。一般に、翼面荷重の大きい飛行機は着陸距離が長い。
[木村秀政]
飛行機には三つの主要な舵(かじ)がついている。すなわち、昇降舵、補助翼および方向舵である。
〔1〕昇降舵 昇降舵は水平安定板の後縁にヒンジ(丁番(ちょうつがい))で取り付けられており、操縦席で操縦桿を手前に引くと上がり、押すと下がる。昇降舵が上がると、水平尾翼に下向きの力を生ずるので、機首が上がり、翼の迎え角が大きくなる。反対に昇降舵を下げると、翼の迎え角が小さくなる。操縦桿を手前に引き、翼の迎え角を大きくするのを上げ舵(かじ)、その反対を下げ舵という(
-(1))。上げ舵ということばの感じからいって、上げ舵さえとれば飛行機はいつでも上昇してゆくように考えがちであるが、飛行機が上昇するためには、余裕推力(同じ速度で水平飛行をするときに対する推力の余裕)で飛行機を引っ張り上げてやる必要がある。余裕推力のあることが、上昇するために必要な絶対条件なのである。
反対に飛行機を降下させるには、エンジンのスロットルレバーを絞り、推力を減らしてやる。推力が水平飛行に必要な値よりも小さくなると、機は水平飛行ができなくなって降下する。急降下爆撃機などは別として、民間機が降下する場合は、速度を落としたほうが安全なので、推力を減らすと同時に上げ舵を引き、翼の迎え角を大きくするのである。
上げ舵、下げ舵は、翼の迎え角を大きくしたり小さくしたりする舵であって、飛行機の上昇、降下とは直接結び付かないことに注意する必要がある。上げ舵あるいは下げ舵をとった結果、飛行機が上昇するか降下するかは、スロットルレバーの加減で決まるのである。昇降舵のかわりに水平安定板の角度を変えても、上げ舵、下げ舵と同様な効果が得られる。
〔2〕補助翼 補助翼は、左右の主翼の翼端部後縁にヒンジ付けされている舵面で、左右どちらか一方を上げると他方が下がるように連結されている。左の補助翼を下げ右を上げたとすると、左の翼端部は湾曲の大きな断面になるので揚力が増し、右の翼端部は揚力が減るので、左翼を上げ、右翼を下げるようなモーメントを生ずる。したがって、補助翼の操作によって機を左右に傾けることができるし、傾きから回復させることもできる。
補助翼の操作には、操縦桿あるいは操縦ハンドルを用い、桿を右に倒すか、ハンドルを右に回すと、機を右に傾けるモーメントが生ずる。
〔3〕方向舵 方向舵は、垂直安定板の後縁にヒンジ付けされている。方向舵を右に曲げると、垂直尾翼に左向きの力を生じて機首を右に向け、左に曲げれば、機首は左に向く。方向舵は普通、足でペダルを踏んで操作する。右のペダルを踏めば機首は右向き、左を踏めば左向きのモーメントが生ずる(
-(2))。〔4〕操縦法 操縦者は、前記の三つの舵とスロットルレバーを操作し、その働きの組合せで飛行機の速度、姿勢、飛行状態などを自由に変えることができる。船や自動車などに比べて、飛行機の運動は三次元で複雑になるので、舵の操作もより複雑になる。たとえば右旋回のとき、船は舵を右に曲げるだけでよいが、飛行機の場合は、補助翼によって機を右に傾けるとともに方向舵を右に曲げて、機に働く揚力、重力、遠心力のモーメントがうまくつり合うようにしてやらなければならない(
)。このつり合いがうまく保たれないと、機は旋回中に内または外に横滑りする。旋回半径を小さくしようとすると遠心力が大きくなるので、これに対抗するため機のバンク角(左右の傾き角)を大きくし、揚力の水平成分を大きくしてやる必要がある。小半径の旋回をする軍用機などでは、バンク角を60~90度近くまでとることがある。これを垂直旋回という。急激な旋回をする自動車に乗っていると、左右方向の慣性力を感じて不愉快であるが、飛行機の場合、どんな急旋回を行っても、バンク角が正しければ遠心力(慣性力)と重力の合成力が座席に対して垂直の面内にあるので、乗っている人は横の慣性力をまったく感じない。〔5〕水平尾翼および垂直尾翼 飛行機に働く力がつり合った状態で飛んでいるとき、突風を受けるなどしてそのつり合いが破れた場合、操縦者がそのつり合いを回復する操作を行わないでも、飛行機が自力でもとのつり合いの状態に戻ることが望ましい。この性質を飛行機の安定性という。安定性は普通、縦(たて)安定、横安定、方向安定の三つに分けて考えられる。
縦安定を受け持つのは水平尾翼である。たとえば、ある迎え角で飛んでいた飛行機が突風を受け、迎え角が大きくなったとすると、水平尾翼の迎え角も増すので、水平尾翼に上向きの力が増し、機首を下げるようなモーメントが働いて、もとの機の姿勢に戻すのである。同様に、方向安定は垂直尾翼の受け持ちである。進行方向に対し機首の方向が、つり合いの状態から左または右に振れると、垂直尾翼の働きでもとのつり合いの状態に戻ろうとする。この働きは、風見鶏(どり)がつねに風上に向くのと同じ働きなので、風見安定ともよばれる。
〔6〕翼の上反角(じょうはんかく) 飛行機の横の傾きは、主として翼の上反角で自動的に修正される(
)。機は左右いずれかに傾くと、傾いた方向に横滑りを始める。翼に上反角があれば、下がったほうの翼は横から風を受けることになるので、機の傾きを水平に戻そうとするモーメントが働くのである。背の高い垂直尾翼も横安定に寄与する。機が左または右に傾き、その方向に滑ると、垂直尾翼は横風を受け、傾きを回復するモーメントを生ずるのである。[木村秀政]
飛行機の一般的な各部名称は
のとおりである。エンジン、燃料タンクおよびそれらの付属装置、配管などをまとめて動力装置という。また、操縦装置、計器類、航法通信装置、電気系統、油圧系統、与圧装置などをまとめて装備という。飛行機から動力装置と装備を除いたものが機体で、主翼、胴体、尾翼、着陸装置などからなる。[木村秀政]
機体は、いろいろな状態で飛行機にかかる荷重に耐えられるよう、じょうぶでしかも軽量の構造のものでなければならない。
〔1〕機体の強度と材料 機体の各部がどれだけの強さを必要とするかは、機種によって異なり、国の耐空性基準によって定められている。輸送機を例にとると、引き起こしその他の運動で普段の3.75倍の荷重がかかっても機が破壊してはならないと決められているが、曲技用機の場合は、運動が激しいので、この荷重倍数が9.0倍になっていて、輸送機よりずっとじょうぶにできている。輸送機も曲技用機なみに強くすればよいと考えるかもしれないが、構造をじょうぶにするほど構造部材の重量がかさんで、輸送機としてたいせつな乗客、貨物などの搭載量、燃料などを積める量が減って、性能の悪いものになってしまうので、合理的に輸送機の強度を決めているのである。
軽くてじょうぶな機体の構造方式で現在広く使われているのは、アルミニウム合金を用いた応力外皮構造である。これは、アルミニウム合金の薄板で外形を形成し、その内面に強度部材や補強材を取り付けた、いわゆるセミモノコック構造である。最近の高速機、大型機などには、その一部にアルミニウム合金のかわりに、強度が大きく耐熱性でも勝るチタン合金を使うものが現れた。とくにマッハ2.5あたりを超す超音速機では、空力加熱の現象で機体表面の温度が200℃以上にもなるので、この高温に耐えるよう機体全体をチタン合金でつくる必要がある。空力加熱とは、飛行機が高速で空気中を飛ぶとき、空気と機体との衝突および摩擦で発熱する現象で、飛行機が成層圏を飛ぶ場合、機体でいちばん高熱になる部分の温度は、マッハ2で117℃、マッハ2.5で215℃、マッハ3で333℃、マッハ4で637℃、マッハ5で1027℃とどんどん高くなってゆく。機体材料として最近は、細くて強いボロン繊維や炭素繊維をエポキシ樹脂などで固めた複合材料も脚光を浴びてきた。
〔2〕後退翼形式 音速にごく近い(遷音速)か、音速以上(超音速)の高速領域では、翼の上面や下面に発生する衝撃波の害を減らすため、翼に後退角をつけることがきわめて有効である。後退角の値は速度(マッハ数)が増すほど大きくなっており、一般に、遷音速機で35度以下、マッハ1.4で45度、マッハ2で60度ぐらいが標準である。後退角のとくに大きいものでは、後縁を直線で結んで三角翼にすることが多い。SSTのコンコルドでは、胴体への付け根の後退角が75度に達する特殊の三角翼を採用している。
後退角の大きな後退翼は、高速時には空気抵抗が小さくて有利であるが、低速時には発生する揚力の値が後退角のない直線翼に比べて低く不利である。そこで、高速で飛ぶときは後退翼、低速で飛ぶときは直線翼に近くなるよう、飛行中に後退角を自由に変えられる可変後退翼variable geometry wing(VG翼)も一部の軍用機で使われている。
〔3〕主翼 主翼は燃料タンクや引込み脚の収納場所にもなっており、翼構造の一部を油の漏れない構造にしてそのまま燃料タンクとして使えるものもある。これをインテグラルタンクという。主翼には、フラップや補助翼がついているほか、上面にスポイラー(阻害板)のついたものがある。スポイラーを立てると、その後方の気流が乱れ、翼の揚力が減るとともに空気抵抗が著しく増加するので、着陸滑走のとき機を減速するブレーキとして有効である。また機の滑空角は揚力と抗力の比で決まるので、スポイラーを立てて揚力を減らし抗力を増すと、滑空角すなわち降下角が急になるので、着陸進入の場合など、降下角を加減するのに効果がある。
〔4〕尾翼 尾翼は主翼と同様の構造で、機を操縦したり、つり合いや安定を保つ目的をもつ。普通は水平尾翼と垂直尾翼よりなるが、水平尾翼に30度程度の上反角を与えると垂直尾翼の役も兼ねさせることができる。これをV型尾翼あるいは蝶(ちょう)型尾翼という。
ジェットエンジンを胴体尾部に装備するいわゆるリアエンジン型では、水平尾翼を通常の位置より高くする必要があり、ずっと高くして垂直尾翼の上にT形にのせたものが多い。これをT型尾翼という。
〔5〕胴体 胴体の内部には、操縦室、客室、貨物室などが配置され、また各種装備品の収納場所にもなっている。
ジェット機やターボプロップ機は、一般に空気密度の小さい高空で高性能を発揮するので、酸素不足や気温・気圧の急激な変化から乗員や乗客の身体を守るため、胴体内の圧力を高めて、いわゆる与圧胴体にする必要がある。これは、ジェットエンジンから直接高圧空気を分岐するか、別の圧縮機で空気を圧縮するかして得られた外気より圧力や温度の高い空気を、温度調整したうえで室内に循環させるもので、どんな高度を飛んでいても室内の気圧は高度2400メートル相当の値を下らぬよう調節されているのが普通である。
〔6〕着陸装置 着陸装置は車輪と油圧緩衝装置(オレオ)とを組み合わせた脚(きゃく)からなり、機の重心からやや後方に2組ないし4組の主脚、機首に1組の前脚をもつ前輪型と、機の重心よりやや前方に主脚、尾部に尾輪をもつ尾輪型がある。今日では、地上静止時の機の姿勢が飛行時と大差なく、地上滑走中の安定がよいなどの理由で前輪型が多い。飛行中の空気抵抗を減らすため、脚を翼、ナセル、胴体などの中に引き込められるようになっているものを引込み脚という。主脚の車輪にはブレーキがついている。
[木村秀政]
ジェットエンジンの装備法は、初期にはかなりの種類があったが、今日では、民間機と軍用機でそれぞれ標準型ができた。民間ジェット機は双発以上が多く、エンジンをポッドに入れて主翼の下面に吊(つ)るか、胴体尾部の両側に取り付けるリアエンジン型が標準になった。リアエンジン型は、フランスのカラベル輸送機で初めて用いられた形式で、エンジン位置が高いので地上の異物を吸い込むおそれが少なく、エンジンから出た音の一部が翼に反射して地上に届かないため騒音が低く、翼の影響でエンジン吸い込み口の気流の方向の変化が少ないなどの利点がある。しかし、尾部に重量物が装着されるため機の前後のバランスがとりにくく、エンジンの整備がしにくいなどの欠点があり、今日では中・小型機に多く使われている。
軍用機では、単発はもちろん、双発でも二つのエンジンを左右あるいは上下に並べて胴体内に装着したものが多い。
[木村秀政]
飛行機の高性能化、大型化に伴って、近代的な飛行機には各種の装備品が積載されている。価格の点からも重量の点からも、飛行機全体のなかで装備品の占める比率が大きくなってきた。つまり、以前は人間の感覚や運動神経、体力に頼って飛行機を運航してきたが、しだいに人間の手に負えなくなって、その代理あるいは助手をつとめる装備品が必要になってきたのである。
まず、飛行機の現在の状態あるいは置かれている環境についての正しい情報を乗員に提供するのが、計器類、航法装置、通信装置である。計器類は、飛行機の速度、高度、上昇率などの性能、飛行機の姿勢、エンジン、プロペラの状態などを指示するものが多数あり、前方の計器板に取り付けられている。航法装置は、地上の各種の施設や人工衛星から送られてくる電波を受けたり、機上のレーダー、ジャイロなどを使って機の現在位置、方位、対地速度などを知らせてくれる。通信装置は、地上あるいは他機との交信をするもので、航空交通管制からの指示や気象通報などを伝達する。
乗員は、各装置からの情報に基づいて、飛行機を運航するのであるが、最近の飛行機では三舵の操縦、脚やフラップの上げ下げなど、人力では無理なものが多いので、人間の能力を補うものとして、油圧装置や電気装置が装備されている。これらの装置の油圧ポンプや発電機は、エンジンの補機駆動部によって駆動される。また、条件によっては人間以上の正確な働きをする自動操縦装置(オートパイロット)も使われ、人間の能力を補うと同時に、人間の手を省く役目もする。
[木村秀政]
飛行機のなかで輸送機は、以前に比べると大型のものが使われるようになった。これは世界的に、(1)航空旅客や航空貨物が年々増え続けてきたこと、(2)輸送機の運航経費のなかには、運航乗務員の費用などが大型機も小型機とほぼ同じですむものがあるので、大型機ほど乗客1人当り(あるいは貨物1トン当り)の運航経費が安くなる傾向があること、(3)とくに日本では、空港事情から運航便数が制限されているため、一度にできるだけ多くの乗客や貨物を運ぶ必要があること、などの理由による。また軍用機では、緊急時の大量輸送の要求や、戦車などの小型機では運べない兵器があることなどから大型化が進められた。以前は、その時代に巨人機とよばれていた輸送機はえてして非実用的であったが、今日の巨人機はエンジンや構造技術の進歩によって主力実用機としても成功していることが大きな進歩といえる。
いまの最新技術を利用すれば、ボーイング747などよりも優れた大型機をつくれそうに思えるが、実際に開発するには巨額の費用がかかり、それを経済的に回収できるかどうかが大きな問題になる。
一方、飛行機は、大型化とともに高速化も大きな課題の一つである。今日のジェット輸送機の多くは、マッハ0.8前後の速度で飛行するが、これは1950年代の初期のジェット輸送機とほとんど変わらない。その理由は、速度が音速に近づくと空気抵抗が急に増すので、そうなる手前の速度で飛ぶのがもっとも経済的だからである。次に経済的に飛べる速度は、一足飛びにマッハ2以上となる。この速度で飛行するSSTのように、長距離をずっと超音速で巡航するには、エンジンと機体の空力的な形を、超音速での燃料消費が少なくてすむようにくふうする必要がある。また材料も、空力加熱に耐えられるものでなければならない。
[木村秀政・久世紳二]
飛行機の公害は離着陸時の騒音が主であるが、ほかに超音速飛行をすると、ソニックブームを発生する。また排気ガスの規制も行われているが、全大気汚染に占める割合としては小さい。今後SSTが本格的に使われる場合は、現在の輸送機よりも高い高度を巡航するので、その地球のオゾン層への影響が検討されている。地球の温暖化につながるCO2(二酸化炭素)の排出を削減することに関して、航空機も新型ほど輸送量当りの燃費が低いことが役にたっているが、さらに液体水素など他の燃料の使用も研究されている。
〔1〕騒音 飛行機の発生する騒音の源は主としてエンジンで、プロペラ機時代にはそれほど問題にならず、むしろ飛行機の魅力の一つに思われていた時代もある。それがジェット機になって、騒音が急に問題になってきたのは、ジェットエンジンが推力を発生する機構そのものによるといってよい。ジェットエンジンはガスを後方に噴出し、その反動で推力を発生するが、この場合、とくに初期のジェット機に多かったファンのないジェットエンジンでは、ガスの噴出速度がきわめて大きく、それが周囲の空気と混じり合うときに激しい空気の乱れがおこり、それがジェット騒音となる。
ジェット機が大型化し、エンジンの出力エネルギーが増大するとともに、その騒音もますます大きくなり、空港周辺に公害を及ぼすに至った。このため1969年、アメリカのFAA(連邦航空局)が、新しく開発する輸送機に対して騒音の最低基準を決め、これを満足しなければ型式(かたしき)証明を交付しないことにした。続いて1971年、国際民間航空機関(ICAO(イカオ))もほとんど同じ基準を採択した。さらに1977年には、より低騒音を要求する新しい騒音基準もできて、その後世界中で新たに開発される輸送機は、この基準以下の騒音特性をもつことになった。
ジェットエンジンの騒音は、排気ガスによるジェット騒音と、ターボファンから出るファン騒音が主である。ジェット騒音を低減する方法としては、(1)ターボファンのバイパス比をできるだけ大きくし、排気全体の流速を減らす、(2)エンジンの後部に、ジェット排気とファン後流を混ぜるミキサーを取り付ける、などがある。ファン騒音を低くするには、(1)ファンの動翼と静翼との空力干渉を減らす、(2)エンジンのダクト内、その他の部分に吸音材を取り付ける、などがある。このような方法で、今日の高バイパス比のターボファンエンジン付きの輸送機は、初期のジェット輸送機より、騒音が20デシベルほども低くなっている。
地上に及ぼす騒音を減らすために、離陸の場合の上昇角や着陸進入の降下角を大きくすると、低高度を飛ぶことが少なくなるので、地上の騒音はそれだけ低くなる。
〔2〕ソニックブーム 飛行機が音速以上の速さで飛ぶと、胴体先端、主翼前縁などから衝撃波が発生する。衝撃波は空気の圧力が一瞬やや上昇する波で、地上に到達すると爆発音のように聞こえる。この現象をソニックブームという。その圧力上昇が大きい場合には、建物のガラスが割れたり、その他いろいろの害を及ぼす。一般に、圧力上昇が0.5/1000気圧以内ならほぼ問題はないが、2/1000気圧を超えると被害が大きくなる。ソニックブームによる被害を減少するには、飛行高度を高めるのがもっとも有効な手段である。高度が高くなるほど、飛行機に発生した衝撃波は空気中を伝わる間に減衰し、地上に達するころには勢力が弱まってしまうからである。
[木村秀政・久世紳二]
航空の安全は、飛行機自身のほか、それを扱う乗員、地上で支援する人や設備など、多くの協力によって保たれる。うち飛行機の安全性では、まず、出会う気象環境に対して、機体の強度をほとんどの乱気流に耐えうるようにし、落雷に備えて機体各部の電気的な接続を完全にし、着氷に対して防除氷装置を備えるなどしている。飛行機自身の破損や故障に対しては、それがおこりにくいようにするとともに、もし破損した場合でも安全に飛行が続けられるように、機体構造にフェイルセーフ性や損傷許容性をもたせたり、装備を多重にし、故障すると自動的にかわりの装備に切り替わるようにしたりしている。またパイロットが最小の作業量で操縦できるように、目や手を動かすのがなるべく少なくてすむようにし、操縦席回りを見やすく操作しやすい設計にしている。機の上昇力や飛行性は、片方のエンジンが停止しても安全に飛べるように余裕をもたせている。火災に備えても、必要な場所に防火壁や火災探知警報装置、消火装置をつけ、内装の耐火性を高めるなどしている。
また事故後の安全に対しては、客席を非常着陸のとき9G(新しい輸送機では16G)の減速度にも耐えられるようにし、また停止後火災が広がらないうちに、全員が90秒以内に脱出できるよう、非常脱出口の数や脱出用スライド(自動膨張式の滑り台)、非常用機内照明に気を配るなどしている。
このような飛行機の安全上必要なことは、各国政府の耐空性基準に定められている。飛行機を開発した場合は、耐空性基準にあった設計であることを、いろいろな試験や計算で証明して、政府の型式証明を受けなければならない。また一機一機には、型式証明と同じ安全性が保たれているという政府の耐空証明が必要で、これがないと飛行することができない。
耐空性基準はときどき改正され、安全性に対する要求がしだいに高められていて、新しく開発する飛行機ほど、この強化された要求にあわせることになっている。また必要な場合には、すでに運航中の飛行機にも、安全性を高めるための改造が指示される。
[木村秀政・久世紳二]
飛行機はいろいろな技術を総合してつくられるが、エレクトロニクスの進歩により新しい技術が開発、導入されている。
〔1〕CCV 飛行機の操縦装置は、操縦桿(かん)、方向舵(だ)ペダルと舵面とを、索やロッドでつなげて人力で直接動かす方式が昔から使われてきた。飛行機が大型・高速になり、人の力では舵を動かすのがむずかしくなると、油圧を使った機力操縦装置が使われるようになった。この場合も、操縦桿から舵面の油圧作動筒のバルブまでは、索やロッドでつないで手の動きを伝えていた。
しかし近年、電子技術が進歩してくると、こうした機械的な伝達よりも、むしろ操縦桿と舵面の作動筒のバルブとを電線でつないで電気で伝達したほうが、確実で便利と考えられるようになった。さらにこの場合は、人と舵面との間にコンピュータを入れて、人の操作の間違いを修正したり、そのときの飛行状態に応じた最適な操縦をさせたりすることもできる。このような電線とコンピュータ経由の操縦装置をフライ・バイ・ワイヤfly-by-wire(FBW)とよび、新しい飛行機に取り入れられるようになってきている。
FBW式の操縦装置は、コンピュータで舵を自動的に動かして、飛行機の安全性を増したり、機体の構造にかかる力を減らしたりすることもできる。こうした舵の自動操作で機の安定性や強度を補う手法を、アクティブ・コントロール技術active control technology(ACT)とよんでいる。ACTを使うと、従来より小さい尾翼で十分な安定性を保ったり、弱めの機体構造でも飛行中にかかる力に安全に耐えることができるので、機の空気抵抗や重量を減らすことができる。そこで、最初からACTを使うことを前提に飛行機全体を設計すると、ずっと軽く抵抗の少ない機体にまとめたり、これまでは考えられなかったような飛び方をさせることも可能で、こうした設計の飛行機をCCVとよんでいる。
〔2〕STOL(エストール)とVTOL(ブイトール) STOL機は短い滑走路で離着陸ができるように、VTOL機は垂直離着陸ができるようにくふうされた飛行機である。小型・低速のSTOL機は、各種実用されている。しかし、本格的なパワード・リフト(プロペラの後流やジェット排気など、機の動力を利用して揚力を高める)の中・大型STOL機は、これまで試作機はいろいろつくられたが、実用されたのは日本の新明和PS-1対潜飛行艇とその改造型のUS-1救難機ぐらいであった。だが1980年代中期に、ソ連(ウクライナ)のアントノフAn-74輸送機が実運用を開始し、アメリカでは1993年に大型STOL輸送機マクダネル・ダグラスC-17の実運用が始まるなど、軍用機を主体にしだいに用途が広まりつつある。一方VTOLも、実用されているのはイギリスのBAeハリアー戦闘攻撃機と、それをアメリカで生産したマクダネル・ダグラスAV-8、ソ連(ロシア)のヤコブレフYak-36戦闘機だけであった。しかし近年、新しいSTOVL(ストーブル)(短滑走離陸・垂直着陸)の攻撃戦闘機の開発が盛んになってきている。
〔3〕複合材料 飛行機は、1930年ごろからアルミニウム合金を主材料としてきた。だが1960年代あたりから、より軽くて強い複合材料を機体構造に応用する研究が始まり、木材、金属に続く第三の主材料として注目されている。
航空機用の複合材料としては、まず1940年代から、ガラス繊維を合成樹脂で固めたFRP(繊維強化プラスチック)が使われ始めた。ガラスFRPは、いまでもレドーム(レーダーアンテナの覆い)や舵面などに広く使われている。ガラスFRPは、軽くて強い反面、力がかかったときの変形がやや大きいので、翼や胴体の主材料としては、グライダーや軽飛行機を除けばほとんど使われていなかった。しかし、1960年ごろから研究が始まった複合材料は、炭素繊維、ボロン繊維、アラミド繊維などをエポキシ樹脂などで固めたもので、これまでの主材料のアルミニウム合金より軽くて強く、力がかかったときの変形も少ない。機体構造に使うと、アルミニウム合金よりも25%程度の重量軽減が見込めるので、今後の発展が期待されている。実用機への応用は1970年代からで、まずF-14、F-15、F-16などの戦闘機の尾翼に使われ、続いてF-18などでは主翼も複合材料でつくるようになり、1990年代のF-22は機体構造の24%が複合材でできている。民間機でも1980年代には、ボーイング767の舵面、エアバスA320の尾翼など、構造への応用範囲が広がり、1990年代のボーイング777では機体構造の約10%に複合材が使われている。小型機では全複合材の機体もつくられている。また繊維をエポキシなどの合成樹脂でなく、アルミニウム合金などの金属の中に並べた金属複合材もあり、これを飛行機に応用する研究も進められている。
〔4〕電子式ディスプレー 飛行機の操縦席には多くの計器や表示灯があり、大型の輸送機などでは、とくにその数が増えてきた。これは飛行機の進歩の象徴のようにいわれたこともあったが、操縦士がつねに多くのものに注意していなければならないのは、安全上もけっしてよいことではない。そこで、多数の計器のかわりに数個のCRT(ブラウン管)に置き換え、これにコンピュータからの画像や文字を出させるやり方が増えてきた。
こうした電子ディスプレー方式では、飛行中のその時々の状況に応じて、操縦士に必要な情報だけを選んで表示することができる。当面関係のない情報は出さずにおくことができるので、操縦士はよけいな情報に注意をそらされることがなくなり、より安全な操縦ができる。また、表示の方法も従来の電気―機械式の計器と違って、画像や文字、あるいはいままでの計器と同様なパターンなど、いろいろな方法に切り替えることもでき、状況に応じた最適な表示を用いることができる。また運航の各場合に必要なチェックリストや、飛行機に異常が生じたときの処置のマニュアルなども表示でき、操縦士とコンピュータとの対話も行える。
さらにCRTにかわって、各種の平型の電子式ディスプレーも実用されていて、CRTよりも電力消費が少なく、軽く、信頼性も高くなるとされている。こうした計器板の電子化により、従来、人を驚かすほど多数の計器や表示灯で埋まっていた操縦席は、すっきりして見やすいものにかわってきた。
また操縦がFBW方式の場合は、長年親しまれてきた操縦桿やハンドルを、操縦士の力や手首の動きを電子制御に伝える小型のレバーに置き換えた飛行機(サイド・スティック方式)もつくられるようになった。こうした自動化を進めた機体では、人間の操作と自動操作との役割分担や優先順などを、どのように設定するかが重要になっている。
[木村秀政・久世紳二]
『木村秀政編『航空宇宙辞典』(1983・地人書館)』▽『日本航空宇宙学会編『航空宇宙工学便覧』(1992・丸善)』▽『航空情報編『航空用語事典』(1981・酣燈社)』▽『日本航空広報室編『最新・航空実用事典』(1978・朝日ソノラマ)』▽『日本航空技術協会編『航空技術用語辞典』(1992・日本航空技術協会)』▽『別冊航空情報部編『最新航空用語150』(1989・酣燈社)』▽『木村秀政監修『万有ガイドシリーズ2~7 航空機』(1981~1982・小学館)』▽『木村秀政監修『航空学入門』上下(1975・酣燈社)』▽『谷一郎著『飛行の原理』(岩波新書)』▽『近藤次郎著『飛行機はなぜ飛ぶか』(講談社・ブルーバックス)』▽『佐貫亦男著『設計からの発想』(講談社・ブルーバックス)』▽『佐貫亦男著『ジャンボ・ジェットはどう飛ぶか――ボーイング747のメカニズムを楽しむ』(講談社・ブルーバックス)』▽『馬場敏治著『航空機の設計――航空学再入門』(1980・槇書店)』▽『応用機械工学編集部編『航空機と設計技術』(1981・大河出版)』▽『石川好美著『フライトの秘密・トラベルの秘訣』(1982・誠文堂新光社)』▽『別冊家庭画報『のりもののしくみ大図鑑』(1993・世界文化社)』
ダグラスDC-3
ツポレフTu-114
ダグラスDC-8
ボーイング737
コンコルド
ダグラスDC-10
ロッキードL-1011トライスター
エアバスA300
ボーイング767
揚力の発生原理〔図A〕
翼の速さと揚力との関係〔図B〕
迎え角と気流の関係〔図C〕
高揚力装置〔図D〕
抗力および推力〔図E〕
離陸距離と着陸距離〔図F〕
昇降舵・方向舵の働き〔図G〕
機体に働く力のつり合い〔図H〕
上反角効果〔図I〕
飛行機の各部名称〔図J〕
軽飛行機の操縦法
ファルマンF60 ゴリアット
ライアンNYP-1 スピリット・オブ・…
航研機
デ・ハビランドDH106 コメット
シュド・アビアシオンSE210 カラベ…
メッサーシュミットMe262
ホーカー・シドレー(BAe)ハリアー
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
1909年(明治42)以来軍事的観点から導入が進められ,10年12月,日野熊蔵大尉つづいて徳川好敏大尉が代々木練兵場で日本人として最初の飛行に成功。14年(大正3)海軍が追浜に横須賀海軍航空隊を,陸軍は翌年所沢に航空大隊を開設。22年空母鳳翔竣工。民間では22年に定期航空路が開設,28年(昭和3)日本航空輸送が国策会社として設立された。この頃から自主設計による飛行機製作が進み,日中・太平洋戦争期に生産は急増したが,敗戦により生産・研究は禁止された。51年国内航空が,54年国際線が再開。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…この運航は第1次世界大戦の始まる14年まで続き,3万4000人を運んだ。
[空気より重い航空機の登場]
気球,飛行船のような空気より軽い航空機――軽航空機――に対し,翼に働く動的空気力(揚力)で重量を支えて飛ぶ空気より重い航空機――重航空機――すなわちグライダー,飛行機,ヘリコプターなどはその発達が著しく遅れた。人間が重航空機を発明するに当たって,まず手本にしたのは鳥であるが,鳥は複雑な羽ばたき運動によって,重量を支える揚力と前進のための推進力を同時に発生させて飛んでいる。…
…しかし,これに乗り組める乗員,乗客は100人ほどであり,また時速も大きな空気抵抗を受けるため130km/hにとどまった。重航空機は,翼が空気中をある速さで進むときに,翼に生ずる動的空気力(揚力)によって機体の重量を支えるもので,飛行機やグライダーのように機体に固定された翼を用いる固定翼機と,ヘリコプターやジャイロプレーンのように軸のまわりを回転する回転翼を用いる回転翼航空機に大別される。翼に生ずる揚力は速度の2乗に比例するので,速度が速くなれば,機体の比重が空気の比重よりはるかに大きくなっても飛ぶことができる。…
…窓材料,内装材など,部分によって用いられる材料にはさまざまなものがあるが,ここでは航空機にとって最も重要な機体材料について述べることにする。 初期の飛行機は木で骨格を作り,それに羽布を張って作られていた。良質な木材は軽く,その割に強度が高いため,部材に加わる荷重が小さい初期の飛行機では,木を使用すると適度の太さの部材で必要な強度を得ることができた。…
… 人はいつでも,どこへでも行けるモビリティを確保すると,次にはできるだけ速く,できるだけ快適に移動することを望むようになる。速度の点で他の交通手段を寄せつけないのが,飛行機であった。空を飛ぶ交通手段としては,飛行機が実用化される前に飛行船が登場したが,1937年のヒンデンブルク号の爆発を最後に大陸間を結ぶ輸送を行う姿は見られなくなった。…
※「飛行機」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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