櫟原郷(読み)いちはらごう

日本歴史地名大系 「櫟原郷」の解説

櫟原郷
いちはらごう

和名抄」高山寺本・刊本ともに訓を欠く。天長五年(八二八)のものと推定される山城国葛野郡班田図(お茶の水図書館蔵)には、櫟原郷戸主の名が三十数名記載されており、山田やまだ郷・高田たかだ郷・川辺かわのべ郷・橋頭はしもと郷などの記載人名よりはるかに多い。そのことから郷域は下嵯峨しもさがから上嵯峨・大覚だいかく(以上現右京区)にかけてであることが推測できる。「三代実録」元慶五年(八八一)九月二七日条に「山城国葛野郡櫟原郷野地三町賜興福寺伝灯大法師位修審、先是、修審申牒、此地、元嵯峨院四至之内也、貞観六年申啓淳和院、建立道場、定大覚寺四至之日、還為公地、基業已成、不得移居、望請処分者、詔賜之」とあり、嵯峨院(現大覚寺)の地内に郷地が存在し、またそれは大覚寺地とはならなかったことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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